140字プロレス鶴見辰吾ジラ

マザーレス・ブルックリンの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

マザーレス・ブルックリン(2019年製作の映画)
4.2
【フリークス“能力“】

エドワード・ノートン監督&主演。私立探偵モノ。上映時間144分。これは長くないか?真相に迫るため私は劇場へ足を運んだ。

冒頭の15分は年間ベスト級の感覚を味わった。映画自体も私自身、144分という上映時間にダメージ受けること少なく劇場を後にした。

本作は幕開けで語られる“能力“について、そしてフリークスという排除されてしまう者への“赦し“についての物語かと思う。

主人公は、見聞きしたことは完璧に記憶できる私立探偵の助手として、世界恐慌後のテクノロジーであれば超人的な能力を持っている。しかし彼は“トゥーレット症候群“を患っている。いわゆるチック症であり、緊張や怒りなど自身の情緒不安により心の声を表に出してしまうのである。彼の頭は壊れているのか?という疑念と師匠であるブルース・ウィリ ス演じる私立探偵が凶弾に倒れる忌の際で“赦し“を得るまでは手際がよく居心地が悪い。エドワード・ノートンの芝居もリアルゆえの居心地の悪さだ。

仇討ちのために事件を追う主人公だが、チック症を抱えながら真相を追いかける姿は滑稽であるが体温がのっている。その中で出逢う女性が本作に感じたもうひとつ“赦し“である。

フリークスと異常者扱いを幼いときからされていた主人公が音楽という彼にとっての喧騒の中で女性にダンスという形で認められ、“赦し“を受けるところで涙が込み上げた。

本作は世界恐慌後、苦しみの中で公共事業により回復し発展するまでの泥水を飲む共同体から、高層ビルやコンクリートに囲まれた街に分断された貧富の差。それ自体はエリート主義(能力)と貧民や黒人の分断であった。高層ビルというマッチョイズムの足下で無碍にされる弱者やフリークス、そして病気を患った生きづらい主人公が記憶力という能力を持って立ち向かう構図はエモいわけである。

世界恐慌後の共同体、第2次大戦後の力による制圧。正義や思想が変わりゆくニューヨーク、そして寒さが心にも及ぶブルックリン。“マザーレス“と冠をとる本作は、母の赦しのような温かみを欲しているように思えた。

“イフ“

と口をついて出る言葉が、自分の過去に向けられていると同時に銀幕の外の我々に向けられているようにも思えて…

エドワード・ノートンというと「ファイトクラブ」を思わずにはいられないわけだが、セリフ回しも脳内の妨害者とイメージされた“トゥーレット症候群“に痛みを受け入れたあのときから、赦しを求めた本作への帰着が心を打つ。トッド・フィリップスの「ジョーカー」が唱えた道路のゴミのように貧困や病気が排除されゆく世界にも似ていて、フリークスという病気を個性としてインクルージョンさせることを胸に刻ませて、ミニマルな形で幕引きさせたのも個人的には胸にじんわりと血を滲ませた。