Taka

アフター・ヤンのTakaのレビュー・感想・評価

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
4.1
ここまでロボットを人間と対等に描くことで停止してしまったときの喪失感を描いた作品があっただろうか?ロボットが停止したことで渦巻く家族同然の存在の喪失、AIの存在意義、そして、記録の探究による記憶への探求…こうした物語のロジックや文化的背景を含めて2020年代においての重要な映画が誕生したのではないか?とすら思える。

AIを主題にした映画といえば、モノとして扱ったAIの暴走によって人間が恐れ慄くみたいな映画がよく思いつきますし、それはそれで面白いのですが、本作はそうではなく、家族同然として扱われていたAIロボットが停止することで最愛の家族を失う喪失感を味わわせることから物語が始まる。こうしたアプローチはありそうでなかなかなかった。あと、序盤でロボットのヤンが停止したことで修理屋をたらい回しにされたり、修理は出来ないのに診断料を請求されたりするのも妙にリアル。ありえそうな未来を描いている点も個人的には面白かった(OPのあの家族4人で行うゲームもありそうなのだろうか?)。

そして、その喪失からロボットのメモリーを利用した記憶への探求へと物語は巡る。メモリーを彷徨う映像の美しさ(Aska Matsumiyaや坂本龍一の音楽が神秘さをさらに掻き立てる)もあるが、記憶の断片としか描き切らないことで観客それぞれが補完する構造なのも面白い。他者の記憶を覗くミステリアスな観点で言えば「百花」と同様であるが、本作はそこに加えて、人間とAI、さらには人種の存在意義にまで言及が成されている。描写によっては人間がAI的に映す描写があるのもそういう意味があるのかと。

と、物語の構造自体も面白いが、それと同時に本作がとてもアジア的風味、その中に日本らしさがかなり散らばっている点も興味深い。監督のコゴナダがアジア系であり、小津安二郎を敬愛していることを公言し、本作のメインテーマ曲を坂本龍一が担当しているあたりから既に納得は行くが、「リリィ・シュシュのすべて」の主題歌である「グライド」が劇中歌として物語の重要なキーとなっていることには驚くと同時に20年前の映画がまさか、あんな形で蘇ってくることに感動すら覚えた。その感動は岩井俊二の映画(小林武史の音楽)がまさかハリウッド映画で引用されたこと、ハリウッドからアジアが台頭するということはこうした形が今後も生まれる可能性があるということ、そして、近年湧き起こる80'sリバイバルやシティポップの延長線としての90's〜00'sリバイバルはもう既に始まりつつあることに対してである。UAの「水色」も劇中曲として使用されていることも含めて物語そっちのけで興奮を覚えたりもした。

物語として母親役のジョディー・ターナー・スミスが持つ役割がちょっと少ないのではないか?と思わなくもないが、日本にはロボットと家族のドラマとして「ドラえもん」という最強なパッケージングがあるとはいえ、こうした作品が生まれてなかったことに虚しさを覚えつつも(アプローチとしてなかったわけではないけれども)、こうした近未来への物語としてのアプローチと文化的背景の文脈という観点においては本作がA24ブランドとして提供されたことも含めて2020年代を代表する作品の一つになったのではないだろうか?と20年代を振り返ったときにこの映画が持つ意味が大きかったことを実感する日はいつか訪れるだろうと私は思うのだ。
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