むぅ

アフター・ヤンのむぅのレビュー・感想・評価

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
4.2
「空気読んでくれよ!」

数年前のこと。
仕事帰りの電車でスマホの写真を整理していた。要は先週さよならした人が写ってる写真を消すという、それはそれで趣があるとも言える作業をしていた。
その翌週、お疲れ様会をしてくれるという友人たちとの飲みに向かう電車で私はのけぞる事になる。
消したはずの写真が全てもとに戻っていた。
いつぞやの自分が、データが消えたら大惨事だからねと勝手にPCと同期されるように設定していたゆえである。
「嫌い、ハイテクなんて嫌いだ」
進行中も"スベらない話"だらけだった私のその恋は、友人達の爆笑と共にエンドロールを迎えた。
[写真を同期しない]
酔って帰って水も飲まず、まずPCを開いたのはあれきりである。
古い映画の最後の〜fin〜ではなく、どちらかと言うと「完」という気分だった。

わかっている。データを消したところで、記憶からは消えてくれない。
きっとふとした瞬間に鮮やかに蘇る。
クリック1つでは消えない映像の数々。
"データ"には使われない"刻む" "薄れる"という言葉は"記憶"によく似合う。

そんなことを思い出した。


どれくらいかはわからない未来世界。
"テクノ"と呼ばれる人型ロボットが一般家庭にも普及した世界。
ロボットのヤンが故障した。
「中古だった」ヤンを修理しようとすると、彼の中には一日ごとに数秒間の動画を撮影出来るパーツが組み込まれていた。
それは"データ"なのか"記憶"なのか。


家族として暮らしていたヤンが故障してしまった事で、残された3人の関係性が浮き彫りになっていく。そしてヤンが自分たちにとってどんな存在だったのかに想いを馳せる様は、とても静か。
ヤンの"不在"を"死"として受け取っているのは娘のミカで、両親のジェイクとカイラは"故障"と捉えているところが印象的。
静かに優しくでもとても残酷に、産まれる前からそれがあった側となかった側を描いている気もする。
「CDってWiFiなくても音楽聞けて便利」
という言葉を耳にした時、新人類!と思ったが、そこまでではなくとも、そしてヤンのような存在ではなくとも、私にとってスマホは"不在"は困る存在になっている。

そんな身近な存在の"記憶"を覗く世界。
私がヤンだったら、どんな映像が刻まれているのだろうかと思う。

父であるジェイクとヤンが中国茶について語るシーンが私は好きだった。
打ち明け話をする時、ちょっと言いたくない事を言う時、マグカップを両手で包んだり、ワイングラスのステムやプレートを指でなぞったりする。そして"飲み物"には思い出話をさせる効果が時にある気がする。
緩やかに舞う中国茶の茶葉は"記憶"にも見えた。刺すように、こびりつくように、存在感を示すわけではない静かな"記憶"。



そんな事を考えながら「化石だよ?」と言われ続け都合3回も電池を交換し使い続け先週やっと機種変したスマホで書くレビュー。
わざわざ写真を戻してくれたあのスマホちゃんも、あの人の事を大切に思っていたのだろうか。
私はもう薄れたけど君は?
もうきっと電源を入れることもないと思いながら引き出しに入れたiPhone、その箱の中にはPHSまで歴代の子たちがいる。
彼らに思い出話をされたら嫌だ。
でも今作の記憶が薄れないと、初期化するのも忍びないといったところ。
むぅ

むぅ