河豚川ポンズ

リチャード・ジュエルの河豚川ポンズのレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
3.8
暴走する正義感に巻き込まれた不運な男の映画。
主演のポール・ウォルター・ハウザーを見るたびに、「ズートピア」のクロウハウザーがめちゃくちゃ脳裏をよぎるのは一体何なんだろう。


持ち前の正義感の強さから法執行官になることを目標としているリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は、副保安官、大学の警備員を経て、現在はアトランタ五輪でのコンサート会場の警備員の仕事をしていた。
その日も会場の警備をしていた彼は、会場後方のベンチの下に不審なバッグがあることに気づく。
さっきまでたむろっていた若者たちの忘れ物かと思われたが、警察に連絡してマニュアル通りの対応をするように話します。
そんなはずはないと高を括る警察官たちだったが、リチャードに押し切られてしぶしぶ確認すると、中にはパイプ爆弾が。
すぐさま会場をパニック状態にさせないように避難を始めるが、その途中で爆弾は爆発してしまう。
死傷者が出た事件となったが、その中でリチャードは被害を最小限に留めた英雄としてマスコミにもてはやされるのだった。
しかし、FBIのトム・ショウ捜査官(ジョン・ハム)が捜査を始めていくと、その容疑者の第1候補として浮かんできたのはリチャードだったのだ。


良かれと思って行動したのに褒められるどころか、犯人扱いされて周りから総リンチに合う。
前世でどんな大罪を犯したらそんな不幸なことになるのかと思ってしまうけど、誰もが世界中にメッセージを発信できるSNSの時代においては本当に今こそ語られるべき物語。
誰かが悪意を持って彼を嵌めようとしているならまだしも、誰もがそう思っているのではなく、偏見とイメージだけでそうなってしまったことが一番たちが悪い。
まあ個人的には、雑な捜査で突っ走ってさらにその捜査状況をマスコミにおもらししちゃうFBIが一番悪いようには思うけど。
個々人が正しいと思ってすることが、総体として積み重なるとかえって悪い結果を引き起こすという「合成の誤謬」という言葉があるけど、これなんかはまさにそうだろう。
そりゃあテロを起こした奴なんかに優しくしてやれなんて到底出来たもんじゃないし、周りが厳しい態度を取るのはある意味当然。
でもそこには受け取った情報を鵜呑みにする自堕落さが横たわってることに気づかなければならなかった。
この事件自体は1996年の話だけど、24年経った今だってデマやらフェイクニュースやらが蔓延って余計に酷くなったようにさえ思える。
その気になれば情報の精査は出来るようになったのだから良い時代になったのかもしれないけど。
結局いつの時代も使う側の人間は技術の進化に追いつけていけないという皮肉なのか。
クリント・イーストウッドも90歳近いおじいちゃんなのに、SNSが全盛の現代にこうやって警鐘を鳴らすなんて、ずいぶんハイカラことするよね。

なんだか最近は「口は悪いけど実はいい人」ポジションがすっかり板についてきたサム・ロックウェルは、今回もスタートから「口は悪いけど実はいい人」ムーブを決めてくる。
正直なんであそこまでリチャードの肩を持てるのかはイマイチよく分からなかったけど、FBIとマスコミどころか全国民が相手に回ってでも無罪を証明しようと燃える姿はかっこよかった。
そしてその熱演に負けてないのが、ほぼ端役からの大抜擢となったポール・ウォルター・ハウザーと、ベテランの名女優キャシー・ベイツ。
ポール・ウォルター・ハウザーは変わり者の正義感が強い男という難しい役どころだったけど、いかにも挙動不審な感じとかが確かにそりゃ疑いたくなるわという完成度。
でもその中で正義感という一本の芯をリチャードの中で見え隠れさせるのは演技力があるからこそ。
キャシー・ベイツはあんまり最近は聞かないな、というか「ミザリー」のイメージが強すぎるのかもしれないけど。
今作ではいわゆる普通の一般家庭の母親という感じだけど、終盤での息子の無罪を訴えるシーンにはなかなか来るものがある。
やっぱり母親を泣かせるような描写は反則ですよ。

でも何なんだろうか、なんかどっかイマイチなんだよな…
同じような題材で同じ監督の「ハドソン川の奇跡」はめちゃくちゃ良かったんだけど、何が違うんだろうか…