平野レミゼラブル

ジェントルメンの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

ジェントルメン(2019年製作の映画)
3.4
【原点回帰にしてガイ・リッチー流の一生紳士宣言】
デビュー作『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』や、その発展形である『スナッチ』など犯罪群像劇を得意とするガイ・リッチー監督の最新作。
僕は『ロック(略)』と『スナッチ』くらいしか観てないんですが、ガイ・リッチー監督も最近だと実写『アラジン』を担当したりで世間的には大作請負人の印象が強いでしょう。そこに来ての本作は、麻薬王の引退によって発生する利権を巡って巨悪・小悪党・近所の悪ガキどもが入り乱れての犯罪群像劇ってことで原点回帰の様相を見せています。
昨年、同じくすっかり実写請負人の印象が強くなった三池崇史監督が原点回帰というべき犯罪群像劇の『初恋』を撮り、それがまた凄い傑作で気を吐いたばかりということもあって(言うて、僕は近年の三池監督の実写作品も大好きなんですが)、同じような境遇の本作も期待値は滅茶苦茶高くあったワケです。

そして冒頭から繰り広げられる気取った言い回し、お洒落なOP映像、要所要所で挟まる意表をつくような画面演出、どこか間抜けだけどやる時はやる悪党ども、最初こそ状況を飲み込めないものの物語が進むにつれて自然と理解できるようになる交通整理力……
正に初期ガイ・リッチーのノリそのものであり、常にニコニコしながら楽しめました!
……ただ、本作を凄く熱狂的に支持したかと言うと実はそこまでではない。いや、しっかり面白いんですよ?面白いんですが、はじめて『スナッチ』を観た時の衝撃や、昨年『初恋』を観て「オレ達の黄金時代(オウゴン)が還って来た!」と大興奮した感動にはどうしても及ばなかった。
これ、何でかなって思ったんですが、語り部たるヒュー・グラントと相性が良くなかったってことなんだろうな……

物語はヒュー・グラント演じる下衆探偵フレッチャーが、麻薬組織のNo2であるレイ
(チャーリー・ハナム)に組織のボスであるミッキー・ピアソン(マシュー・マコノヒー)の醜聞をバラすという脅しを仕掛けるところから始まりまして、そのためフレッチャーが組織に何が起きたかをイチから解説していくんですね。となると、物語はフレッチャーの語りに依存することとなり、観賞者側の是非の基準もフレッチャーの語り口が合うか合わないかの二択となります。
フレッチャーはお世辞にも語りが巧い方ではない…というより、ご丁寧に事のあらましを映画の脚本に仕立てたため、ところどころ映画的誇張、拡大解釈に無理矢理な予測、話の脱線などといったノイズも入り交じっているという。

ただ、語り口がノイズ混じりだったからダメなのかと言うとそうではない。むしろ僕は語り手が話を脱線させまくる物語は大好物でして、視点があっちこっちに行く『スナッチ』、物語のほとんどが無駄話や電波な妄想に塗れている『アメリ』なんかはオールタイムベスト級の作品です。本筋から離れはするけれど、その代わりに流れる楽しいイメージ映像や、わざと外したが故の笑いが予測外の軽みに繋がっていてそこが大好きなんですよね。
そして、『ジェントルメン』も話を脱線させた代償として、画面の比率を変えたり、事実を誇張させたが故の滅茶苦茶な映像を見せたりというサービス精神旺盛な演出で楽しませてくれています。その点で行くと『ジェントルメン』も脱線の物語として十二分に合格水準なんですよ。

それでも『ジェントルメン』がオールタイムベスト級にはならない理由は何かというと、一重に語り口のリズムが合わない。その一言に尽きます。
ここら辺はもう完全にフィーリングの領域でして、言葉にして理論的に説明することが出来ないんですよね……僕は音楽の良さを伝えようとしても、「サビのダッダーン!ってとこが超アガるから好き」とか「ティロティロティロリー♪って感じの音がなんか気持ちイイ」とかしか話せない人間なんで、具体的にどの辺りのリズムが合わなかったかとか語る術がないんですよ。
ただ、それは裏を返せば語り手が変わってリズムが変われば、評価もまた変わるかもしれないということでもあります。例えばもし吹替版が製作されたとすれば、感想も正反対になるやも。『スナッチ』にしろ『アメリ』にしろ、僕が一番好きな語り手はジェイソン・ステイサムでもアンドレ・デュソリエでもなく、山路和弘と野沢那智ですからね。


語り手以外は大体好みにはあってはいたんですが、それでも注文をさらにつけるのであれば、もっとボンクラな連中が欲しかったかな…ってところでしょうか。
いや、今回も本人達は真面目にやっているハズなのに何かお間抜けな絵面や結果になったりはしているんですが、それでも裏社会の一流のワル達だから変な方向に進んでも結構リカバリーしちゃってるんですよね。ガイ・リッチーの過去作で言うなら『ロック(略)』のヤク中大乱射や、『スナッチ』の牛乳玉突き事故みたいな「どうしてこうなった…」っていうどうしようもない局面に陥って欲しかったなって気持ちがあります。
本作だとトドラーズがそういう無法な状況を作り出してくれそうなボンクラさを感じたんですが、むしろ無法な状況を無理矢理押し通すみたいな強さに溢れていたのでそうはいかなかったという。ほぼ幻影旅団とかマイティ・ウォリアーズとかみたいな奴らだよ、アイツら……

原点回帰自体はガイ・リッチーも相当に意識していたのか、過去作のセルフオマージュっぽい要素も多々見受けられました。大麻工場、ボクサー、トランクに詰められた奴、豚……全て『ロック(略)』や『スナッチ』で見たことのある符号です。
一方で、そうした過去の自分達のノリがもうオールドタイプになってしまったのではないか…みたいな危惧もそこかしこで見られます。レイを始めとした英国紳士然としたギャング達が気取った迂遠な言い回しをしても、コカインやってるようなバカガキどもには全く通じずに頭を抱えるみたいな描写が頻発されましたからね。もうそういう格好良さとか洒脱さって流行らなくなっちゃったな…みたいな揶揄も含まれているかもしれない。
また、若者代表たるトドラーズが配信サイトによって、ボクシングのコーチやギャングのおっさん達を苦しめていたのも世代交代の示唆のような気がしてなりません。

フレッチャーがこの話を「映画の脚本」に仕立てた辺り、多かれ少なかれメタ的な意味合いは持たせているんでしょうね。今日び、変に凝った言い回しや展開は好まれない。色々と力を入れて撮った映画よりも、その場のノリで素人が配信した動画のが面白い。
となると、『ジェントルメン』は原点回帰ではなくて、自分たちが作った過去作への鎮魂歌のような意味合いを持つことになってしまう……

ただ、それでも僕が求めているのは変わっていく世間の風潮をモノともせず気取ったまま突っ切った作品なんですよ。そして、ガイ・リッチーも絶対に気取った方を好んだままでい続けている。
なんたって本作の結末って、ガイ・リッチー監督の「世の移り変わりに合わせて大人しくしようとも思ったけど、結局俺の好きなモノって俺以外撮れないよなァー!!じゃあ、しゃーねーや!!これからもこの作風のままで撮り続けるぜェー!!」って宣言のように思えてならないんですもん!!残念ながら本作はちょっと僕のリズムには合わなかったけれども、求めている方向性は全く同じではあったので、これからもガイ・リッチー監督が自分好みを貫くとあればずっと着いていきますよ!!