平野レミゼラブル

ジャッリカットゥ 牛の怒りの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

4.4
【狂気の黙示録。牛の暴走が人間の愚かさを啓示する――】
ガチャッ……ガチャッ……ガチャッ……ガチャッ……ガチャッ……ガチャッ……
ジャジャジャンッヴョ〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰ジャンッヴョ〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰ジャンジャンッヴョ〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰ジャッジャッヴョ〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰
(達磨一家走りでやってくるクッタッチャン)タータタッタッターターターイーヤウーワクッタッチャン!! タータタッタッターターターイーヤウーワクッタッチャン!! タータタッタッターターターイーヤウーワクッタッチャン!! タータタッタッターターターイーヤウーワクッタッチャン!!
ウゥ―――………エェ――――――――――――――オォ―――――――――――――――
アヤヤ~アヤヤ~アヤヤヤヤーーーーー
チャチャチャチャチャチャチャチャチャ(ジャッジャジャッジャッジャジャッジャッリカットゥジャッリカットゥ…)
GOD BLESS(神のご加護を)
ゴオォォォ―――――ン……ゴオォォォ―――――ン……
ゴオォォォ―――――ン……ゴオォォォ―――――ン……

ゴオォォォ―――――ン……ゴオォォォ―――――ン……


なんだこれ!?(驚愕)
流す映画が真面目な映画(例『彼らは生きていた』『靴ひも』)とキワモノ映画(例『バクラウ』『アフリカン・カンフー・ナチス』)で落差が凄まじいと感じているシアター・イメージフォーラムで上映されていた中で、断然後者代表の方だったインド映画の怪作。
予告編の時点で異常な熱量であり、「インド版ワイルド・スピード」、「徒歩のマッドマックス」などの奇ッ怪な例え、オマケにあの映画界の邪悪たるアリ・アスターまでもが激賞していた時点で真っ当な映画ではないとは思いましたが、まさかここまでとは……
インド映画としては珍しく90分の短尺でしたが、短い間に音に絵面に展開にと狂気の沙汰をこれでもかと詰め込まれていたので、去年『サーホー』と『バーフバリ王の凱旋』をオールナイトで観た時くらいに疲れた……何というか『ヘレディタリー』とか『ミッドサマー』のテンションがおかしくなっている部分のみで構成されている映画なので、そりゃアリ・アスターも興奮するワケだよ…って感じです。なんで「水牛が逃げ出した!捕まえろ!」というこの上なくシンプルな筋書きの中で、ここまでの混沌と狂気が押し寄せてくるのか。これがワカラナイ……


最初に書いたこの意味不明な擬音の羅列。これが映画全体の流れと思ってくれて構わないです。
映画冒頭からこの規則的に刻まれる時計の針音のリズム(ガチャッ……ガチャッ……)に合わせて夜明けの村人の様子を映し、その後は起きてから牛を捌いては売る肉屋を中心にした人々の営みを奇怪なBGM(ジャジャジャンッヴョ〰〰〰)と共に描き出します。
どちらかというと音MADのようなリズムでして、溢れる群衆の喧ましさを細切れのカットで映し出して進んでいくので、インドの田舎の風土のわからなさも含めて理解も追いつかぬまま時間が過ぎていく。そんな中で主要な登場人物紹介もされてはいるんですが、モブ含めた人数の多さと次々切り替わるカット、そしてインド人特有の髭面ともあって全く見分けもつかないし誰が誰だかわからない。
そんな人物関係もイマイチ掴めない中で、水牛が逃げて村中総出での大騒ぎに発展していくんだから状況把握なんて土台無理な話なんですよ。理解拒むレベルにゴチャゴチャしているから。

ただ、全てを理解する必要はあまりないです。事態が何か動く度に「誰が何をしてこうなった」というのは説明されるので、後から理解が追い付くくらいが丁度良い。
モブ以外でも登場人物は多く、「水牛なんて放っておけ。自然のままが一番だ」と宣っていたけど自身のタピオカ畑を荒らされたと知るや否や「ぶっ殺せ!」と掌を返すハゲや、娘の結婚式に出す水牛カレーの手配に大わらわな名士っぽいオッサン、その結婚式前に密かに駆け落ちしようとする娘、横柄な警察、応援で隣のプーマーラ村からやって来たにも関わらず爆竹鳴らしまくるだけのチンピラ…といった人々はキャラも立っていて、それぞれ尺を取っているものの本筋には全く関係ないのでここら辺はスルーでいいです。
とりあえず覚えておけばいいのは肉屋の下っ端で水牛を逃がしてしまったボンクラ・アントニと、肉屋の店主・ヴァルキ、そして密売がバレて村から追放された無法者のクッタッチャン(タータタッタッターターターイーヤウーワクッタッチャン!!)の3人くらいです。

ドラマ自体は至極シンプルで、逃げた牛を追い掛けるだけの話。もっと言うなら、そこに人間ドラマも絡んでいくワケですが、メインとなるのはアントニとクッタッチャンの確執ですね。
かつてアントニとクッタッチャンはソフィという女性を巡った恋のライバルだったのですが、アントニがクッタッチャンの密売をチクることで蹴落とし、自分がモノにしたという過去がある。しかし、現在では風采の上がらないアントニにソフィは愛想をつかしかけているため、アントニは牛を捕まえることで威厳を保とうとするし(そもそも逃がしたのもお前だろとは思わないでもない)、クッタッチャンはそんなアントニや村の連中を見返してやろうと自信満々にやってくる。
となると、この2人の諍いを始めとして牛を追う中で人間同士の愚かなぶつかり合いや、醜い争いが表出していくのは自然なことでして、ある種の「人間が怖い」系のスリラー要素も組み込まれています。
牛が銀行押し入ったら捕まえてやるから債権チャラにしろだの、牛を傷つけるのは法律で禁じられてるから捕獲班が来るまで待てと後手後手の対応した警察が襲撃されたりだの、たった1匹の牛によってどんどん状況がカオスになっていくサマは愚かさが振り切っていてむしろ面白い。

牛の暴走についても、行方不明の牛を追い掛けているという都合上、そこまで画面に映るワケではないのですが、たまに現れては暴走して人を吹き飛ばしあらゆるモノをぶち壊す映像に迫力があります。
どう見ても本物の牛が暴れ狂って人を吹っ飛ばしているようにしか見えず、本物の猛獣を100頭以上放った中で撮影した狂気の映画『ROAR/ロアー』を思わせるのですが、本作はアニマトロニクスを駆使しており本物ではないとのこと。
しかし、キャッチコピー通り本当に1000人はいるんじゃないかってくらいに大勢のモブを動員して、手に松明やらライトやらを持って夜の山を走るシーンは臨場感がありますし、ローテクとハイテクの合わせ技でここまでの勢いを作っていることが窺えます。ひたすら斬新……というより奇ッ怪の領域に差し掛かっている映像センスであり、本作の唯一無二さはこの映像表現にも表れています。強化版『ROAR/ロアー』。

とはいえ、あまりに特異すぎる作りなのは確かでして冒頭から絶えず流れる独特すぎる音楽や虫などを映すイメージ映像の連続や、切れ間なくシームレスに突入するもんだから回想と最初気付けない回想なんかは割とややこしく混乱させられます。
かなり多めなサブキャラクターの物語も、話の中心がアントニとクッタッチャンなため、言ってしまえば本当は丸ごと必要のないサイドストーリーです。なので、ところどころ冗長な場面はあるんですよね。
ただ、ここまで盛り込むことで画面はより混沌と化しますし、モブに至るまでの登場人物が全員混沌の中でも我欲を通そうとするのが伝わってくる。本作は冒頭と最後で聖書を引用するなど「戒め」の色を強くしておりまして、こうした人間のエゴとカオスを突き詰めて皮肉とするとあればこの冗長さはむしろアリです。

終盤なんかは画面上で“何が”起きているのか理解は出来ても、“何で”起きているのかは全く理解出来ないという狂気の光景が目の前に広がり唖然とするほかない。観ている側も全くわかりませんが、画面上の人物達も明らかに自分が何をやっているのかわからなくなっている有り様なので物凄いのです。
その後、独特なEDテーマ(ジャジャッジャッリカットゥジャッリカットゥ…)が流れ、神のご加護を祈られた上で晩鐘を鳴らされて(しかも長い)終わるため最終的に頭を抱えながらクツクツと笑いつつ放心するしかなかった。なんだこれ……なんだこれ………