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戦争と女の顔のkuuのレビュー・感想・評価

戦争と女の顔(2019年製作の映画)
3.8
『戦争と女の顔』
原題 Dylda.
映倫区分 PG12
製作年 2019年。上映時間 137分。
ベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチによるノンフィクションУ ВОЙНЫ НЕ ЖЕНСКОЕ ЛИЦО (1984) - 日本語訳『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳、群像社)を原案に、第2次世界大戦後のソ連(現ロシア)で生きる2人の女性の運命を描き、第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門で監督賞と国際批評家連盟賞を受賞したロシア産人間ドラマ。
監督は、巨匠アレクサンドル・ソクーロフの下で映画制作を学んだ新鋭カンテミール・バラーゴフ。
主演はともに新人のビクトリア・ミロシニチェンコとバシリサ・ペレリギナ。

第2次世界大戦に女性兵士として従軍したイーヤは、終戦直後の1945年、荒廃したレニングラード (現サンクトペテルブルク)の街の病院で、PTSDを抱えながら看護師として働いていた。
しかし、ある日、PTSDによる発作のせいで面倒をみていた子どもを死なせてしまう。
そこに子どもの母親で戦友でもあるマーシャが戦地から帰還。
彼女もまた、イーヤと同じように心に大きな傷を抱えていた。
心身ともにボロボロになった2人の元女性兵士は、なんとか自分たちの生活を再建しようとし、そのための道のりの先に希望を見いだすが。。。

今作品の登場人物イーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は、スラブ伝統神話の死と永遠の冷たい女神モレナ(マーラ、モーラ、マレン、またはムラ)のような姿をしている。
彼女は、意図的に、そして無計画に人を殺る。
彼女は希望を消しちまう。
これはこの物語の冒頭でしか起こらないことやけど、冒頭で観てる側が主人公たちに抱いた嫌悪感は、最後には共感と理解へと変わっていくのが不思議な作品でした。後味の悪さは、『パラサイト 半地下の家族』(2019)や『ジョーカー』(2019)と同様、疲労と不安ちゅう視聴者向けのものやけど。
作中の退役女性兵士2人の同性愛シーンは、心的外傷後ストレス障害の副作用として登場する。
戦況と男性人口の減少により、女性の友情への執着が余儀なくされた。
しかし、ラストシーンのマーシャとイーヤの関係を観察すると、彼女たちの互いへの思いは、戦後のトラウマに左右されるものではないことがわかる。
マーシャとイーヤのつながりは、母性や姉妹愛によって囲い込まれたり、枠にはめ込まれたりするものではないんやないかな。
もっと大きなもの。
だから、二人の愛には性別や年齢などという次元はない。
戦後のロシアにおけるサバイバル模様の描写も、今作品の大きなテーマです。
すべてを共有する経済意識、私有財産の不在、多産へのこだわり、生きる意味の模索、安楽死、中絶、同性問題などの生政治が見事に今作品の中に盛り込まれている。
金ピカのサーシャと下層階級のマーシャ(ワシリサ・ペレリギナ)の経済的二極化は、リュボフ・ペトロブナ(クセニヤ・クテポワ)とマーシャの緊迫した昼食時の対話によって、両者の社会背景が明らかにされ、完璧に説明されている。
彼女たちのあいまいな対話は、特に失恋したサーシャへの皮肉と被害者意識を示している。
この昼食会の結論は、結婚による社会的移動が制限されていることを示してる。
そして、戦後のロシアでは、女性にとって経済的な機会を追求するチャンスはない。
作中のソビエトの視覚芸術は、当時の不況の認識と、その状況下での自由の抑圧を完璧に反映していた。
服や食べ物という基本的な要素は、主人公たちの生活の中で興奮の原因となっている。
一方、今作品はルネサンス時代への一定の参考は見受けられるものの、セットはソ連の重苦しい視覚的現実の優れたソ連の生活様式表現で縁取られていた。
アパート内では、当時のサンクトペテルブルクの歴史的なアパートの質感が正確に再現されてたし、革命前の壁紙から、エキゾチックな鳥が描かれた生物図鑑のページまで、すべての壁が最大5層の異なる壁紙で覆われてる。
中には、現代の壁紙ではなく、実際に使われていた壁紙も使ってたそうです。
後の時代には、ソ連の新聞を壁紙として使用したそうです。
余談ながら、今作品の歴史コンサルタントが撮影現場を訪れたとき、再現物と本物の資料の違いを見分けることができなかったと感心したそうです。
今作品はソビエトのビジュアルがルネサンスに出会い、この映画に特別な美学を加え、希望と信仰を高めているようでした。
その後、信仰と希望は、この残酷な戦争の世界で女性に与えられる機会を追求する助けとなる。
この物語から、多くの人が自分自身の考えを明確にすることができると思います。
今作品は、戦後ちゅう時代において、どのように困難と闘ってきたかといういくつかの選択肢を引き出し、考えさせるものでした。
しかし、この映画で考えられるすべての結果に共通するのは、『無条件に愛し合う』という一つの赤い線であるはず。
愛があれば、数々の可能性が開ける。。。戯言でもそれが真理かな。 
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