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第七の封印のKKMXのレビュー・感想・評価

第七の封印(1956年製作の映画)
4.0
 ベルイマンがずっと対峙し続けている虚無の問題が非常に色濃く描かれた作品でした。なにせ、実際に「虚無」という言葉が連呼されましたし。

 宗教色が強いですが、個人的にはキリスト教の知識がなくてもそれなりに楽しめる映画だと思います。

 「神の沈黙」がテーマのようですが、私はキリスト教の知識がないのでよくわかりません。しかし、いくら問いかけられても答えない神と、それでも神にすがろうとする人たちの関係性は、ネグレクトの親子に近いなぁ、と感じました。
 子どもが困っているため助けを求めても、親は子を放っておき助けてくれない。これが繰り返されれば愛を感じられず、自分のルーツとのつながりを切断されるような状態になります。そのため自分自身をポツンと孤立した、ひどく脆弱でフワフワと漂う存在として実感することになります。自分の存在意義がわからなくなるのです。
 騎士アントニウスと従者ヨンスは、親である神のために10年尽くしたが、親からのレスポンスは一切ない状況です。それ故アントニウスは神に執着し、なぜ愛をくれないのだと悩み、ヨンスはどうせ無駄、とニヒリズムに陥っています。

 彼らだけでなく、本作に登場するほとんどの人たちが神からネグレクトされている、と感じていると思われます。疫病が蔓延する世界で救いがなければ、不安に圧倒されて先鋭化します。途中で登場する狂信者集団は、ネグレクトの果てに発狂した連中と言えそうです。
(まぁ、神ってもともと人間を救うような俗っぽい存在ではないと思うので、私にネグレクトと言われるのは不本意でしょうが…神様ごめんなさい!しかし、人間どもから勝手に願望を投影される神様はたまったもんじゃないでしょう)

 そんな世界で生きてりゃ、ヨンスみたいに虚無になりますよね。もしかすると、ベルイマンはこんな世界に生きていたのかもしれません。キツい!

 今回、ベルイマンが提示した虚無への処方箋は、旅芸人一家です。彼らは恐怖ではなく仕事や家族に目を向け、現実世界を地道に生きています。彼らは人生の意味とか考えませんが、とても意味ある人生を生きているように見えます。
 本作の登場人物たちはほとんどが恐慌・混乱状態で浮き足立ってますが、彼らだけが愛を育み事に仕え、地に足をつけて生きているように感じました。だからか、目の前の危機である死の存在を察知し、回避しようと動けたのかもしれません。


 ベルイマンは本作を「頭で創った作品」と語っています。その逆の作品が『夏の遊び』だそうです。
 本作はかなり緻密でスピード感もあり、破綻なく話が進んだ印象を受けます。しかし、『夏の遊び』のようなポジティブなパワーは感じませんでした。旅芸人一家の生き方は、おそらくこの時期のベルイマンには不可能のように思えます。まさにアタマでたどり着いた答え、って感じです。
 無意味さは見出せたが、意味獲得には至れず、といったホドロフスキー師匠の『ホーリーマウンテン』的ポジションの作品かな、と考えています。


 キャラクターについての感想。死神がユニークで好きです。スマパンのビリー・コーガンのようなキモい風貌で、鎌ではなく糸ノコを使ったりしてチャーミングです。あのキャラが本作をポップなものにしているように思います。
 ヨンスが助けた、後に彼の侍女のようになった女性がとても印象的でした。一行が行き詰まったとき、彼女だけはキラキラとした表情で死を切望していたように感じました。彼女は本当に絶望の人生を送って来たのでしょう。切なかったです。
 神学者ラヴァルのカスっぷりも面白かった。ベルイマンの悪意を一身に背負ったようなキャラで、逆に惨めすぎて人間味がありました。


 追記。うっかり書き忘れていましたが、映画後半あたりでアントニウスが見せた誇り高き行動が強く印象に残りました。彼が取った、唯一と言っていい意味ある行動。
 ベルイマンが虚無に対抗する手段として、旅芸人一家の在り方とアントニウスのある行動を挙げているように思いました。アタマでっかち感はありますが、直後に『野いちご』撮ってますから、やはり手ごたえはあったんでしょうね。


*余談
本作鑑賞後、続けて『魔術師』を観る予定でしたが、映写機の故障で上映中止に!ビックリです。
劇場の対応は誠実で、特別鑑賞券をいただきました。中止は残念ですが、レアな体験ができて面白かったです。少しおトクでしたし。
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