佐方和仁

カモン カモンの佐方和仁のネタバレレビュー・内容・結末

カモン カモン(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

自分の子供の頃はたぶんあんなに個人としては扱われてなくて、自分にもその意識はなくて、自他の境目が曖昧で混然としてたと思う。あんなに親や近親の人たちと対話を交わした覚えがない。それだけ不自由なく安心できる家庭で育ったからかも知れない。

アメリカだと9歳くらいの子供でも内省的に自分の感情をよく観察して本当の気持ちを言葉にして親に伝えて対話するということは普通のことなんだろうか?お互いに愛してると言い合いハグして気持ちを確かめ合う。そういうものの前提になる個人という意識がそもそも子供の頃の自分にはなかったと思う。あ、いや今でも個人という意識は曖昧だ、ぺらぺらで空っぽだ。

どうやって対話してたのか思い返してみると、自分の場合はお風呂を焚くためにおばあちゃんと一緒に風呂釜に薪を焚べて火を焚いていた。言葉を交わすというよりはその火を通して会話をしていたように思う。対話、ダイアローグというより火を通しての互いのモノローグで話をしてきたように思う。

カモンカモンの中でいうならマイクを通していろんな音を拾うこと、いろんな場所を横並びになって一緒に歩き回ること、録音機材とマイクを通しての互いのモノローグを互いに聞くこと。自分の場合は対話よりああいうモノローグを生活を通して、火や畑の土いじりを通してやっていたように思う。

そうだ、思い出した。ジェシーがジョニーを寝かしつけるシーン。足の力を抜いて、腕の力を抜いて、最後に目の力を抜いて、そして空に浮かぶ星のことだけをイメージする、詩みたいだった、きっと星になって眠るような体験をジェシーもしたんだろうな。

木の話もしてたなジェシー。菌類のチューブによって木は繋がっているという話。木のやっているコミュニケーションは人間社会だと本を読むことなのではないか。紙は木からできてるし。
詩の他者性のなさ、木のモノローグ。


映画の中に出てきた本の引用をnoteに書き起こしていた人がいたのでお借りして貼り付けておく。読みたいな、翻訳はあるのだろうか。

ジャクリーン・ローズ 『母親たち』
Jacqueline Rose “Mothers: An Essay on Love and Cruelty”

「母性とは、私たちの文化のなかで、私たち自身が対立するという現実や、完全な人間であることの意味を封じ込める、というよりむしろ葬り去る場所だ」
「それは私たちの個人的・政治的な失敗のための、究極のスケープゴートである」
「世の中のあらゆる問題の解決は、信じられないことだが "当然に" 母親の仕事だ。私たちの社会や私たち自身について考えるのがむずかしいすべてを、母親が背負うことを期待するとき、私たちは母親に対して何をするのだろうか? 母親は、まっとうに生きられる人生の最も困難な側面に関わらずにはいられないのだ。なぜ物事を明るく、無邪気で、安全なものにすることが、母親に課されなければならないのだろうか?」

クレア・A・二ヴォラ『Star Child』
CLAIRE A NIVOLA

「きみは走ること、手を使うこと、音を出すこと、言葉を形成することを学ぶだろう。少しずつ、自分のことは自分でできるようになるのだ。ここは静かで平和な場所だけど、そこでは色彩、感覚、音は絶えずきみの上に押し寄せてくる。
植物や動物など、想像もつかないほどたくさんの生きものに出会うだろう。ここではいつも同じだが、そこではすべてが動いている。すべてが常に変化している。きみは地球の時間の川に突き落とされるだろう。そこには楽しみや恐れ、喜びや失望、悲しみや驚きなど、学ぶべきこと、感じるべきことがたくさんある。その混乱と喜びの中で、きみは自分がどこから来たのか忘れてしまうだろう。そして成長し、旅をし、仕事をし、もしかしたら自分の子どもを持つかもしれないのだ。
佐方和仁

佐方和仁