このレビューはネタバレを含みます
この映画は当世風LGBTの映画ではなく、もっと普遍的な親殺しを巡る物語の様にボクには思えた。
物語終盤。
実母の毒親的な愛を静かに切り離した一果。魂の母とも言うべき凪沙の死がもたらした激情を糧に天上の高みへと駆け上がってゆく(このあたりボクの妄想です)一果の姿は是か非か。
冒頭の泥酔した実の母親を支えて帰宅する一果の姿と、終盤で病み衰えた凪沙を支えて海へゆく一果の姿にデジャヴュを覚えたボクの感覚がおかしいのだろうか?
母の呪縛に囚われついに逃れ得なかった一果の親友の恐るべき運命はなにを意図して挿入されたエピソードなのか。
凪沙のトレンチをまとい、凪沙のように颯爽と征く一果は実母を切捨て得たように、死せる凪沙の眼差しから自由になれているのだろうか?
それとももしかして、白鳥の湖の再演なのだろうか。現世で偽りの愛に破れたジークフリートとオデットは湖に身を投げ来世にて永遠に結ばれる。
来世を待たねば真の母子とはなれぬと言うのはあまりに辛くはないでしょうか。死せる凪沙を恋い慕い来世での再会の日までひたすら舞う人生と言うのは、いま始まったばかりの若者の未来と言うには凄絶にすぎて、ボクには祝福して送り出せないと言うかなんと言うべきか。
ボクにはわかりません。エンドロールの二人のポートレートの美しさを含めて、難しい。
一果が凪沙のなりたかった" 何者か"に囚われて答えの無い問を追いかけ続け生きてゆくのだとしたら、それはとても美しい生の形かもわかりませんが、あまりに残酷な生ではないかとも思うのです。死をもって結ばされた誓約、逃れる事の不可能な呪縛と言えないだろうか。
重く切なく残酷で、なにより美しい母と子の相剋の物語。まちがいの無い良作です。