認知症の当事者である父と、献身的な介護に勤しむ娘。ふたつの視点が軸になっているだけではなく、父の意識は故郷と海辺を行ったり来たりで、かつての記憶と選択次第で有り得たかもしれない妄想との境界さえも判別できない状況に陥っていることが次第に分かってくる構成は確かにちょっと、いやかなり難解かも。中盤あたりで妄想に現実の音声がカットインしてきた瞬間には背筋が冷える思いをしました。これこそが認知症だというのなら、わたしは意思の疎通ができなくなってまでなお生き続けたいとは思えないな…と率直にそう考えてしまわずにいられなかった。最終盤、それまでずっと「こちら側」に居続けた筈の娘さえも妄想に過ぎなかったのか…?と思わせる、その判断を観客に委ねる演出たるやもう。
父絡みのアクシデントに見舞われ続け、仕事まで思うように行かず涙を流した娘asエル・ファニングが感情を爆発させた瞬間、わかる。わかるよ、その行き場のない憤り。俺も知ってる、泣けるときに泣きたいだけ泣いたらいいよ。自分のズボンを父ちゃんに穿かせて自分はコートに素足でひとまず急場をしのいだ後、おんなじズボンを買って穿いて待合室に佇むシーンの何気ない尊さに胸をうたれました。これが愛だわ。