オシリー

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のオシリーのレビュー・感想・評価

5.0
その日900教室のなかにあった熱、対立、言葉、熱、ユーモア、視点、誠実さ、歴史、空間、熱、熱、熱。三島由紀夫というその時代最高の知性に向かって堂々と持論をぶつける全共闘と、揚げ足取りや論破などしようと思えばいくらでも出来るにも関わらず全ての言葉に対して誠実に向き合い、そして自らの言葉を返す三島由紀夫。その間に生じる爽快かつ濃厚な熱。三島は言う。「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということは分かっていただきたい。」果たしていまこれを学生に向かって言える大人がどれだけいるだろうかと考えた。同時に、闘う気持ちと信念を持って恥や外聞など気にせず行動できる青年がどれだけいるだろうかと考えた。そして、いま、言葉はどれほどの力を持ち得ているだろうかと考えた。おそらく、このいずれも現代には失われてしまった。言うべき言葉も、行動すべき信念も、自らを突き動かす動機も、それによって生じる熱も失われてしまった。日本はまさに三島の恐れていた無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国になった。三島も全共闘も立場の違いはあれどみているものは一緒だった。お互い真のナショナリズムを目指して日本を改革しようとしたわけだ。しかし結局は三島も全共闘も敗北する。全共闘のある種アナーキーな詩的空間は持続性を欠き、三島の歴史的な時間性は大衆的現実の前に倒れる。日本の知性的復興の問題はいまも私たちの目の前に横たわったままだ。やはり、日本が戦後、日本を更新していくために、三島由紀夫は避けては通れないだろう。
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