オシリー

パラサイト 半地下の家族のオシリーのネタバレレビュー・内容・結末

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

社会的に言語を持たない、底辺に属するひとは高い地位を持つひとに対していったいどのようにコミュニケーションを図るのか。それは家庭教師、運転手、家政婦などの役柄を演じることであり、そこに個人はありません。なぜなら高い地位を持つひとは、それらの役者が一線を越えることをひどく嫌うからです。あくまで雇用主と労働者の関係を固持しようとする。だから、雇用主にとっては代わりはいくらでもいるのです。高い地位を持つひとからすれば、底辺に属するひとは何かしらの役者、あるいはにおいなどの感覚でしか理解し得ない存在だということでしょう。とはいえ底辺に属するひとは助けを求めています。しかし助けを求めるための言語を持っていません。そこで用いるのがモールス信号、すなわち点滅です。世の中にずっと光り続けているものはありません。それは絶対的な神、権威的な崇拝の対象でありその光りは他の存在を鈍らせる胡散臭さを孕みます。かといってずっと光りのないものも信じることは出来ません。それは結局ただの虚無、絶望に浸ることだからです。ではひとは、いったいなにをみればよいのか。それは、光ったり、消えたり、光ったり、消えたり…つまりは点滅です。この映画における、モールス信号による点滅は、紛れもなく我々に対するメッセージだと考えます。
一家はよく計画という言葉を口にします。更に絶対に失敗しない計画とは、無計画のことであるとも。思うに、ここでいう計画とは希望や意志のことではないでしょうか。計画に不慮のアクシデントは付きものです。しかし、それでも計画を続けることがひとの進む道だし、点滅的な営みで好感が持てると考えます。そしてやはりこの映画で注目すべきは一階の住人、半地下の住人、地下の住人という階段の構造を取り入れて地下と一階の断絶を示唆していることでしょう。地下の住人は一階の住人との共通言語を持たず、コミュニケーションを取ることが出来ない。しかし半地下の住人とはコミュニケーションを取ることが出来る。そして半地下の住人は役柄を演じることで一階の住人とコミュニケーションを取ることが出来る。この構図はそのまま北朝鮮、韓国の貧民層、韓国の富裕層という関係に当てはめることが出来ます。地下と一階が繋がる可能性として、一階の住人の子どもが偶然地下の住人を目撃する場面がありますが、その後親の教育という嘘によって地下はなかったことにされます。思うに、嘘とは目的を達成するために非常に有用なものですが、使い方次第でその性格が変わる危険物です。教育は別の名を洗脳と言います。我々は、嘘を見極めるのではなく、嘘の中身を見極めなければならないのです。富を独占してはならないというメッセージは、ある日唐突に一家に舞い込んできた儲け話とその象徴としての石によって描かれています。石は、ずっと持っていてはいけません。時が来れば、誰かにまた渡さなければならないのです。石に執着した/されたものにはその執着によって身を滅ぼすということかもしれません。まだまだたくさん書きたいことはありますが、ひとまずめっちゃくちゃ面白くて興奮しました!次から次への目まぐるしい展開、示唆的なカット割り、絵づくり、ダイナミックなBGM、セットの空気感や小物にまで至るこだわり、面白くも怖くもある脚本、台詞や展開に込められたメッセージなど個人的には大満足の作品でした!星5!
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