もものけ

モロッコ、彼女たちの朝のもものけのネタバレレビュー・内容・結末

モロッコ、彼女たちの朝(2019年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

この作品は、個人的評価で傑作だった映画です。

モロッコの最大の都市カサブランカで職を探すサミア。
住む場所もなく美容師の仕事も失い彷徨う彼女は、イスラム社会ではタブーである未婚の母親。
途方に暮れていると、一日だけの宿を提供してくれたパン屋の店主アブラと出会う。
いつしか二人の女性は共にかけがえのない存在となってゆくのだった…。





感想。
"ルジザ"や"ハルシャ""ムスンメン"といった聞いたことのないパン屋のメニューが飛び交い、異文化であるモロッコの土地に親しみを感じてしまうような心温まる作品でありますが、食文化を通してイスラム社会という文化の異質性を訴えかけるテーマも盛り込んでいるドラマ。

スパゲティ作りに使用する小麦粉で作られた厚手のビスケット"ハルシャ"。
モロッコ版クレープ"ムスンメン"。
砕けやすいビスケット"ガゼルホーン"。
スパイスの入ったビスコッティ"フッカス"。
手延べ麺のようなパンケーキ"ルジザ"。
どれも作品では美味しそうで、旅行の際には食べてみたくなるような映像。
そして伝統料理であり手間がかかるので廃れ始めている"ルジザ"を作る映像なども物語で見せてくれます。
延々と一本の生地を薄く伸ばす技法で、忙しい現代社会では素材作りだけで終わってしまいそうな"ルジザ"、社会の移り変わりを風刺したようなシーンです。

食文化で繋がる人々の絆を描いた作品には当たりが多く、個人的には大好物でもあります。
幼い娘を抱えて人との繋がりを敬遠するアブラと、事情を抱えて人との繋がりを拒否されるサミア。
この二人の緩衝材となる存在であり、その可愛らしく人懐っこいワルダが繋ぎ留めているように見えた物語が、"ルジザ"という伝統料理で二人の女性を結びつける構図で、紐のようなパンケーキの"結ぶ"比喩とイスラム社会と伝統をメタファーとしており、とても素晴らしい秀逸な表現となります。

イスラム社会では女性は男性の"所有物"であり、そこに人権は存在しません。
これは信仰のない者からすると人権侵害ですが、"所有"する者へ厳格な責任意識を持たせて、家庭を一人の男が守ってゆくという考え方なので、単純に否定できるものでもありませんが。
"所有"する者がいなくなった女性は、イスラム社会から隔絶され仕事をすることも、再婚することも出来ず、文字通り"死"を意味します。
そしてタブーにも厳しい戒律を持って、人々が互いを監視し合うような社会であり、異物を排除しようとする厳格な宗教思想に染まっています。
これは原理主義的考え方なので、一夫多妻制や割とゆるい思想であるモロッコでは、それほどキツイ縛りはありません。
しかしやはり立憲君主制でイスラム教が多数を占める社会でもあり、人々は戒律としきたりを重んじて生活しているので、サミアに同情しても助けることはありません。
このイスラム社会の女性への"人権"をテーマの核とした作品に思えました。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「灼熱の塊」でも素晴らしい演技を魅せたルブナ・アザバルが主演ですが、この「モロッコ、彼女たちの朝」でも頑なに心を閉ざす女性を演じきっており、とても好きな女優でもあります。
モロッコの女優であるニスリン・エラデも、心に抱えた重さを深みのある演技で魅せます。
個人的にはワルダ役の女の子が、素敵な笑顔とたどたどしいながらも可愛らしく、生き生きと演じているのにホッとさせられました。

面白かったのは、パン屋の物語の中で二人の女性の対比構図をとりながら、恋愛や社会問題を盛り込んでいてドラマ性に富んでいることです。
一見すると女性の"人権"をテーマして男性への批判的内容に見えながら、誠実である優しい男性も描いているので偏った表現ではありません。
そして女性も歌を聴き、オシャレに興味があるなどイスラム社会に縛られているばかりではない表現もあります。
ただひたすら重いテーマを描くのではなく、微笑ましいシーンなども緩衝材として取り入れて、更に物語の幅へのスケールを広げている表現がうまく、飽きずに見入ってしまいます。

娘の名前は"ワルダ"です。
アブラがかつて好きな歌手も"ワルダ"です。
娘の存在感を緩衝材としていながら、歌手の存在は思い出したくない"過去"です。
夫を亡くした"過去"に囚われる女性と、子を産む"未来"に悩む女性。
二人の女性がぶつかり合う"過去"と"未来"は、イスラム社会の習わしと新しい思想のぶつかり合いでもあります。
"ワルダ"を聴かせるシーンは、受け入れられない"未来"を、苦悩の表情と共に委ねてゆくアブラでメタファーとしており秀逸な演出でございます。
この二人のぶつかり合いに"ワルダ"という娘が緩衝材となっていながら、歌手の名前にも掛けてある脚本の出来の良さには脱帽。
そしてタイトルでもある「モロッコ、彼女たちの朝」にも掛けてある邦題としても的を得ている珍しい作品。
この"彼女たちの朝"というものが、対立するイスラム社会の思想を見事に表現しております。

更にこの変わることのない歌の歌詞を"美しかった"というアブラと、"今でも美しい"というサミアのシーンに、とても深いものを感じさせる名シーンではないでしょうか。
捉え方が違うだけで、変わってはいないのです実際は…すごいメッセージだと思いました。

こんな深い作品でありながら、こじんまりとしたパン屋では楽しそうに調理し、店頭に飾られたお菓子の美味しそうなこと。
"酸いも甘いも噛み分ける"とはよくいったもののように、映像作品としてエンターテイメントとしてもしっかりと作られております。

腹を空かせて泣き続ける赤子を演出する痛々しいシーンが延々と続きますが、悪い母親には見えない表現は、ここまでゆっくりと丁寧にサミアの心情を描いているので、むしろその苦悩がテーマの問題の根の深さを表しているように感じます。
望まない子供を産まない選択ではなく、愛してくれる者へ託す選択としてのサミアの愛情を感じさせ、それを忘れて新しい生活をしてゆくという強い女性としての意思。
乳を飲ませることで情が移る拒否への苦悩は、このプロセスから観客へ胸が張り裂けそうになる思いを疑似体験させる効果があります。
涙なく観られるシーンではございません。
ちっちゃな頭と手足を愛おしく撫でるサミアには、目頭が熱くなりました。
人類の始祖でもある"アダム"を子の名前にするあたりも、宗教色が強く哲学的めいた表現に見えますね。

作品のほとんどのシーンが、パン屋の出来事と三人の登場人物がメインで語られております。
セリフも少なく近射で撮影された描写がとても多いです。
しかしながらその全てのシーンに意味がありセリフがあるように思えます。
まるで女性としてイスラム社会では発言の自由がないメタファーであるかのようです。

ラストではサミアの選択は、観客には分からないまま悲観的な結末となり映画は終わります。
これを悲観的と捉えるかは、作中でも描かれた違いなので、観客に委ねてゆく演出となります。
あらゆる演出、構図、セリフなどに綿密に練り込まれた表現が、脚本の作り込みの凄さが伝わるほどの傑作でした。

この完璧なほどの演出に、5点を付けさせていただきましたが、10点評価でないと評価できないほど、心が震える深いテーマに圧倒され、異文化であるモロッコのイスラム社会へ映画として触れることができる傑作でした。

そして、あのパン屋のお菓子を全部食べてみたくなるほどに興味をそそられる別の自分もいるのでした…まる
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