朱音

MOTHER マザーの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

MOTHER マザー(2020年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

2014年に実際に起きた“少年による祖父母殺害事件”に着想を得た本作は、母親の歪んだ愛情しか知らずに育った少年が、その母親の一言がきっかけで凶行に走るという痛ましい事件を描き、救いの手が届かない日本社会の死角に深く切り込んだ意欲作だ。

大森立嗣監督はこう語る。

「社会的なセーフティネットがうまく機能しなかったことで、この親子を救えなかったという側面と、母親の秋子が最初の方で「自分が舐めるように育ててきた子」って言うんだけど、一方では半分ネグレクト(育児放棄)のような行動があったりもする。その両方の側面のなかで、「いったいこの親子の関係は何だったんだ」って想起させる力があったんですよね。そこにすごく惹かれた気がします。」

機能不全を起こした家族というコミュニティの関係性は非常に危ういものだ。元々親子というものは血の繋がりや、母親の腹を痛めて産んだという実感、教育方針、責任感、そして支配、種々様々な要素が複雑に絡み合っている。そうした中で、なんとか均衡を保っているのが所謂、世間一般でいうところの「普通の家族」な訳だ。だがその"普通"という感覚はそもそもが、それぞれ個性別の感覚によるものだ。経験や知識、遺伝的素質、環境による相対化、そうした様々な要素を参照し、個別の"普通"が出来上がってゆく。
本作に出てくる秋子は客観的にみればいわゆる"毒親"であり、モンスターだが、彼女自身、そうした自分の生き方について疑問を持っている訳ではない。彼女にとっての"普通"がそれなのだ。

「あの子は私の分身。舐めるようにして育ててきたの。」

この言葉に偽りはないだろう。彼女なりの"愛"がそこには介在している。だが、そもそも"愛"というものを知り得ない存在である秋子にとって、子供を愛するとはどういうことなのだろうか。
人は様々なしがらみの中で生きている。そこには自身や、他者に対する受容を歪に歪めてしまう要因となるものも少なくはない。
彼女の欺瞞は、果たして彼女だけの責任によるものだろうか。

「ブラックボックスみたいなものがあるんですよ。母親には子どもをものすごく深く愛している部分と、それが行動としてうまく伴っていない部分。それから子どもが母親からいくらでも離れることができたのに、離れなかったのはなぜかということ。映画としては“分からない部分”に向かっていけばいいっていう視点でやっていた。」

秋子と周平の関係性は複雑だ。外部の人間がいう"共依存"という言葉で簡単にカテゴライズ出来るものではない。十数年に渡る執着、自分以外ほかにいない、という思い込み、そうした積み重ねた歴史が彼らの実情を形作っている。そこには他者の理解を跳ね除ける"何か"があるのだ。

本作はそうした"分からないもの"に対して明確な解を出さない。映画でそれを行うことは容易であるが、実際の事件においてありえたかもしれない真実を描くことは困難だ。映画全体を使って本作はその問いを観客に向けるのだ。
「あなたにとっての"普通"とはなにか」と。


近年、日本映画会に次々と衝撃作を送り出す会社がある。その名も「スターサンズ」。菅田将暉とヤン・イクチュンがひりついた魂のぶつかり合いを見せる、寺山修司原作、岸善幸監督の『あゝ、荒野』、日本政府に渦巻く"陰謀論"を真っ向から描ききった、望月衣塑子、河村光庸原案、藤井道人監督『新聞記者』、池松壮亮と蒼井優が"業火"ともいうべき熱量で共演した、新井英樹原作、真利子哲也監督の『宮本から君へ』と、話題作を次々と世に放った映画会社だ。

本作はそんなスターサンズが制作。同社で上記の作品を手掛けてきた河村光庸氏が企画・製作を担っている。彼らの特徴は、常に忖度せず作品を創出していることだ。
表現や描写に一切の妥協をせず、スポンサーや観客の顔色を窺うこともしない。だからこそ、完成した作品は危険なまでのリアリティと突き抜けた面白さがあり、見る者の心を震わせる。

その姿勢は、本作でも貫かれていた。日本映画界で躍進を続ける同社が生み出した新たな衝撃作となっている。


是枝裕和監督『誰も知らない』『万引き家族』などの系譜に連なる、社会の底辺を生きる家族の行く末。
実話をベースに殺人事件を描くという点で、園子温監督の『冷たい熱帯魚』、白石和彌監督の『凶悪』など、鮮烈な “実録もの”を思い浮かべる人もいるだろう。共通点は確かにある。しかし本作が映し出すものは、凄惨な描写ではない。
本作は主に、先進国における“社会の底辺”を描いている。その点で、是枝監督の『誰も知らない』『万引き家族』、ケン・ローチ監督によるカンヌ・パルムドール受賞作『わたしは、ダニエル・ブレイク』、鮮やかな色彩で貧困にスポットを当てたショーン・ベイカー監督作『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』などの系譜である。

劇中、こんなシーンがある。周平と秋子と内縁の夫が、海岸で魚の刺し身を食べる。刺身は、ビニール袋に入った残りものだ。その姿を見て、ほほ笑ましいと思うか、哀れみを感じるか……その人の胸には、どんな感情が宿るだろうか。


大森監督はこう語る。

「例えばテントのなかで実際に生活していた親子がいて、2人がどういう風に暮らして、どういう距離感でいたのかという真相を知る方法はありません。」
(中略)
「頭や言葉で考えるんじゃなくて、生身の人間が本当に感じることによって生まれてくる何かが、この事件で起きたことにもう少し触れていくことができるきっかけになっていくんじゃないかなって。」

この映画がどこまでもリアルなのは、私たちに何かを学ばせる為ではなく、また消費させるためでもなく、ただ何かを"感じさせる"こと、その一点において、唯一真実に近付くことが出来るかもしれないという大森監督の信念に基づいたアプローチなのだ。
朱音

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