平野レミゼラブル

100日間生きたワニの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

100日間生きたワニ(2021年製作の映画)
3.8
【真摯に真っ当に「喪失」と向き合う。】
Twitterで大バズりしたきくちゆうき氏の『100日後に死ぬワニ』のメディアミックス展開の一環で遂にアニメ映画化!!
……まあ僕も特に熱心に追いかけていたワケではないけれども、TLに流れてくる分は読んでいたため、最終日前日辺りから本編の内容とあまり関係ないところで起きた毀誉褒貶の激しさ含めてリアルタイムで観測済み。
全く入れ込んでいなかったからってのもあるんでしょうが、正直本作の余韻を微塵も考慮しない商業展開への持っていき方とか、商売っ気の強さとかへの批判はあまりピンと来ず(ぶっちゃけ商業展開する以上、あらゆる手で広告展開するのは当然のことだと思う)、何故か炎上していくサマのみぼんやりと眺めていたという。
 
ただ、そんな炎上騒動の中で告知された本作の映画化。これに関してはシンプルにメディアの違いから「こればかりはないだろ」と全面否定していました。
というのも、この『100日後に死ぬワニ』ってTwitterに完全特化させたエンタメの形でして、これ以外だと絶対に成り立つことがない作品だからです。
 
『100日後に死ぬワニ』の内容自体は取るに足らないものでして、18~25歳くらいのフリーターに擬人化したワニやネズミの自堕落な日常を映したものです。時折、ラブコメめいた展開や日を跨いで展開する連続性のある話もありますが、基本的には「死」からは程遠く、山なしオチなし意味なしを地で行く作風。
ただ、最初から「100日後に死ぬ」と提示され、漫画内でも「死まで〇日」のカウントが成されていく。そして、その「死」という絶対的運命を作中の動物たちは誰一人として知らず、神の視点で彼らの日常を追っている読者(と作者)のみが知っている。
こうなってくると、読者間でも色んな感情や考察が飛び交うワケです。この何てことない日常が突然壊れてしまうことにどこか期待してしまう人もいれば、哀しむ人もいる。悪趣味として嫌悪感を持つ人もいれば、どのように死ぬのかを考察する人もいる。中には考察の派生で「100日後に死ぬワニと言っても、どのワニが死ぬかは言っていない」といったトンチめいた「死」を回避するオチを考えだしたり、「ワニが死なない偽最終回」といった二次創作を生み出したり、「そもそも死とは何か。爪を切った。この時爪は死んだ。しかし爪は生きている。そうか…宇宙とは…」と悟りに至って解脱する者etc…といった無限に派生する作品消費をもたらします。
この観測者側の盛り上がり具合は、リアルタイム進行のTwitterと『100日後に死ぬワニ』という作品との相性の良さを如実に示しています。実際にワニが迎えた「死」をどう感じたかについては人によるとは思いますが、それでもそこに至るまでの過程をここまで盛り上げた時点で作品としては非常に興味深い特異点足り得たと言えます。
 
しかし、こうしたリアルタイムの積み重ねや、他者の考察・感想が観賞中に介在しない映画となると話は大きく変わってきます。あの100日間の中で交わされた無限の楽しみ方が、限られた上映時間に収束されてしまい、途端に奥行きを失ってしまうからです。
まあ、これは映画だけの問題点でもなく、例えば100日間を1冊にまとめた単行本であっても、Twitterで観測した時と1冊まとめて読んだ時では面白さの質そのものが大きく変化してしまっています。最初からTwitterという媒体に特化した100ワニは、Twitter以外のメディアではそもそも生きることすら困難で、そのため100ワニの映画は最初からその個性の「死」が運命づけられた作品と言えます。
 
あと『100日間生きたワニ』だと生後100日で夭逝したワニの話みたいじゃねェーか!!
「死ぬとわかってからのあの100日間の人生こそ私が本当に生きていることをはじめて実感した日々だったのかもしれない…」という難病モノあるある解釈をしようにも、困ったことにワニくんは100日間無為に過ごしているし、前述通りそもそもワニくんは100日後に死ぬことを微塵も知らないから、そういう意味でもないという。
じゃあ、なんだ。Twitterで描かれた100日間以外のワニくんの生には何の意味もないってのかよ、ええェーッ!?そりゃ、俺だって「ワニくん、あまりに刹那的かつ無為に生きていているから死んで一花咲かせるのもアリかもなァ…」って思っちゃったけど、ワニくんに対してあんまりにも失礼じゃねェーか、オメェー!!
 
とまあそんな調子に思っていたので、映画版は公開されても興味ゼロでスルーする予定だったんですが、結局公開初日に観に行ってるという……
なんでかと言うと、現在の僕の映画好きを形成するきっかけとなったオールタイム・ベスト映画『カメラを止めるな!』の上田慎一郎氏が監督を務めることになったからです。もうね、贔屓の作者が監督するとなると観に行かざるを得ないじゃんね……ただでさえ上田監督の作品は観れるものなら全て観るって「縛り」を課しているしね……
しかも、本作、話題づくりで上田監督にオファーが回ったワケではなく、上田監督自ら映画化を企画して志願しているんですよ。となれば、掌返しして「興味あります!あります!」と叫ばざるを得ないのですよ…!
だって、前半30分くらい面白くなかった作品を、後半で一気に覆した上にその30分に確かな意味を持たせるウルトラCの実績を持つ上田監督だったら、メディアの違いで絶対面白くならない作品をも面白くする予感しかしないじゃない!?
さらにアニメーションを担当するのが上田監督の奥さんであるふくだみゆきさんなんですが、彼女の作品も好きなんですよね……困った(?)ことに期待値0の作品に好きなクリエイターがこれだけ関わることになると、なんかもうどういう感情で観に行けばいいかわかんなくなるね……
 
 
 
 
とまあ、そういう割と軽く受けに回る感じで観に行ったんですが、ビックリすることに作品自体は正面から真っ向勝負を仕掛けて来まして、結果的に倒れていたのは自分だった…って感じの作品でした。
Twitterと映画という媒体の違いを理解した上で最初にワニの絶対的な「死」を据え、そしてその後、丁寧に「喪失」というテーマと向き合って真っ直ぐ描かれたとなれば「泣きました」と白状せざるを得ない。真っ当に良い映画であると断言します。ハイ。
 
構成としては、冒頭に原作100ワニ最終回を置き、どうやらワニが死んだらしいことを示してから、ワニがこの死の日まで過ごした最後の100日を辿り直す原作100ワニパートが30分、冒頭をリフレインした後にワニがいなくなった後の世界に住む友人たちを描いた映画オリジナルパートが30分の前後半構成。
前半の30分はそれこそ原作通りとりとめもない日常が各月ごとにダイジェストで送られており、作りは原作の4コマから必要なエピソードを切り抜いてその前後の流れを補完して描いていく感じ。新聞4コマを10分程度のアニメに膨らませている『サザエさん』とちょうど同じ作り方をしていますね。
僕自身が100ワニを部分部分しか追ってないから、どの4コマをどう使ったかとかまでは詳しく解説出来ないのだけれど、ちゃんと後半のオリジナルパートに繋げる為に要点を絞って巧く再構成していると感じました。
 
本作は実は『100日間生きたワニ』が主体ではなく、むしろワニという友人を失ったねずみたち遺された者達の「喪失」が主体となっています。そのため真の主人公は中村倫也演じるねずみであり、神木隆之介演じるワニの出番は当然のことながら生きていた前半30分のみです。
その「喪失」の描写が中々印象深くて、ワニの直接の死は一切映さないし、その後ワニの友人たちも「死」に対して特に言及するわけではない。ただ、前半で登場したワニに纏わる思い出の品や場所を映し、言葉にしなくともワニという存在の「喪失」を確かに描写し、皆が静かに偲ぶようにしている。決してワニの死を哀しむ描写を入れてくどくしてるわけではないし、お涙頂戴にもっていかない静謐な描写を徹底している。
間の取り方に違和感を覚える感想もしばしば見えますが、個人的には特にそんな気になるところはなく、むしろ「ワニを悼む時間」としてかなり適切に取られた間だったように感じます。

あと本作、「動きが少なく紙芝居レベル」と貶されていますが流石に過言で、確かに動きは少ないけどそれこそ『サザエさん』レベルには動いていますよ。少なくとも原作のシンプルな絵をそのまま動かしているので雰囲気を損ねることはないし、むしろ絵が淡白だからこそより「喪失」の重みがあったように感じました。
そもそも、100ワニのアニメでぬるぬる動くことを求める必要があるのかって話でして、ちゃんと話の内容に即す形でのアニメーション表現にはなっています。

結構賛否分かれそうなのは後半から出てくるオリジナルキャラのカエルでして、まあ彼のキャラクターは結構ウザいです。ただ、100ワニに出てくるキャラクターはみんな今ドキの若者感が出ているから、かなりハイテンションにウザ絡みしてくるカエルに特別違和感があるかというと別にそうでもなかったかな……まあ人によっては本当に生理的に駄目でしょうけど、個人的にはカエルの背景とか物語として登場させる意義がちゃんとしていたので全面肯定したい派ですね。
あと演じる山田裕貴くんのチャラい演技滅茶苦茶巧いです。というか、神木くんや中村倫也もいい感じに若者の身内ノリを再現してるし、演者はみんなハマってました。

で、この後半からのカエルもTwitterと映画というメディアの違いから生じた新たなテーマ「喪失」のその先を描く存在として必須の存在。その役割はベタなものではありましたが、それ故にストレートに胸にくるものがありました。

それでもまあ、本編の方で泣くことはなかったんですけど、エンドロールの一枚絵で「ワニの持っていたゲームコントローラー」の行方がサラッと明かされたところで「あッ…!」とやられて涙が溢れてしまったので本当僕の負けです。
これは本作が最後まで「喪失」に真摯に向き合い、丁寧に描写してきたからこそ出来た不意打ちでして、物語を堅実に積み重ねていた証左でもあります。

一番の驚きは上田慎一郎監督が100ワニというギミックだらけの原作をどうやって映画にするかにあたって、ギミック一切なしの「真っ向勝負」を仕掛けてきたところにあります。
上田監督作品は『カメラを止めるな!』以来、劇場で観られる分は欠かさず観てきましたが、やはりギミック系の映画監督としての世評がどうしても邪魔している印象がありました。
『イソップの思うツボ』は3監督分業制で挑戦したけれど肝心のギミックがちぐはぐでイマイチすぎる作品だったし、『スペシャルアクターズ』はギミック以外の部分でグッとくる要素があって割と好きな作品ではあるけれどそれでもギミック自体は仕込んでいてカメ止め完全脱却までは至ってない印象でした。
ですが、本作に関しては小技を一切使わず古典的かつ普遍的な演出だけで丁寧に構築して魅せてきており、なんというか「完全に脱却したな!」と嬉しい気持ちになったのです。俺は何様なんだよって感想ではありますが……

結構、褒め重点で感想は書いたものの、特別100ワニだからこそ秀でた部分が目立つワケではなく、基礎に忠実に作った良作って辺りが最終的な評価かな。
過剰に褒めるわけではないが、貶す道理も全くないのでシンプルに良かったとだけ言っておくぜって感じの映画ですね。
これは馬鹿にしていい奴だから馬鹿にしようとか、叩ける時に叩くって行いはあまり良いことではないと思うんだよね。まして、褒めてる人に「いくら貰った?」と聞いたり、観てもないのに知ったような口利く風潮はマジファックですからね。
とりあえず僕は胸張って「オススメ!」しときます。いくら貰ったと聞く人に対しては「1円も貰ってないからお前が代わりに払え」とだけ事前に言っておく。