平野レミゼラブル

護られなかった者たちへの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

護られなかった者たちへ(2021年製作の映画)
2.6
【護った者と護られなかった者を区分するもの】 
阿部ちゃんが連続餓死殺人という奇怪な事件を追う刑事ということで『新参者』とかの刑事加賀恭一郎シリーズと思ってしまいますが、彼が演じるのは加賀ではなく311の津波で妻子を喪った笘篠刑事。原作も東野圭吾じゃなくて中山七里の同名小説です。
原作は未読なんですが、佐藤健演じる容疑者の男・利根の名前が変更されていたり(原作:勝久→映画:泰久)、彼と関わることになるけいさん(倍賞美津子)やカンちゃんとの馴れ初めが311被災後の避難所である学校となっていたり、男性のケースワーカー丸山が女性(清原果耶)になっていたりで割と改変ポイントは多めっぽいです。
まあ、それでも同作者原作映画の『ドクター・デスの遺産』みたいに主題から大きく逸れて展開まではしてないんじゃないですかね。少なくとも柄本明のモンタージュ作成と綾野剛と北川景子が殴り合う描写に時間をかけまくった挙句、主題である安楽死の是非が彼方にフッ飛んでいたみたいなことはないです。本作は余計なエンタメ精神はそこそこに「生活保護制度の欠陥」という社会的命題を掲げ続けて問題提起を行う社会派ミステリとなっています。


とはいえ、2時間超の映像にするにあたってかなり無理くりに圧縮したんだろうなって部分は頻出気味……
まず、連続餓死事件の被害者はいずれも善人とされる人々で、彼らが何故こんな異常な殺され方をしなければならなかったのか?って部分に焦点が当たるのですが、彼らが善人とされる理由が全て口頭での証言なんであまり善人という感じがしないという。
一応、回想形式で彼らが善行を積んでいるような描写もあるんですが、彼らが何を思ってその活動に勤しんでいるのかが映画だけでは繋がらないのでとってつけた感があるんですよ。設定上は被災者として家族を喪う苦しみを味わったからとか、自身の職業からのある種の罪滅ぼしみたいなものも感じられはするんですけどね。

また、捜査を進める内に被害者は全員同じ福祉保険事務所のケースワーカーを務めていた経歴があり、そこで生活保護申請を却下したことで恨みを買っていたことがわかってきます。
彼らを善人と思っていない人もいたってことなんですが、それに該当する生活困窮者当人達よりも彼らから話を聞いた笘篠の部下蓮田(林遣都)の怒りを強調しちゃうところも不可解です。いや「なぁーにが非の打ちどころがない善人だよ!」ってお前がキレることじゃないだろ!?感化されただけのお前の怒りぶつけられても、こっちの心にはちっとも響かないし共感できないよ!?
なんか本作、やたら説明口調だったり、レッテル貼りをしてそう思わせようとしてくる部分があるのが少し不気味に感じます。あとついでに蓮田、全体的に生意気で態度が悪いところを必要以上に強調してくるので鬱陶しいことこの上なかった。

本作の悪いところを詰め合わせたのが、生前の被害者達が、生活保護に支払える予算は有限で、誰でも彼でも助けられるワケではないという現実を、これまた説明口調でベラベラ喋り通す部分でして物凄い不自然でした。居直るにしても、突然道のド真ん中で滔々と文書を読み上げるような形で生活保護の根本の問題を説き出すかってことで違和感しかないし、この言動の異常さの時点で彼らを善人と見做すことはまず不可能になるんですよ。
その割に、彼らも理想と現実の狭間で苦しんでいたんだよってのが最終的な着地点っぽいので一体何がやりたかったのかさっぱりわかりません。あまりに直球な物言いからはプロパガンダっぽさすら感じてしまうし、どんな人物にも毀誉褒貶あるんだよって描き方としては極端すぎます。


極端と言うなら連続餓死殺人事件そのものもですね……
本当に必要な人に行き渡らない生活保護の問題を炙り出す狙いはわかるし、そのあまりに不十分な施策の犠牲者を思っての怒りもわかるんですが、その結果としてやることがあまりに猟奇的だし極端なのでちっとも心に響かないという。
オマケに犯人が捕まってその痛切な動機が判明した後に、被害者達が苦しみもがきながら死ぬサマも同時に流してしまうので、余計にやりすぎ感は加速するという。

「事件の犯人はわかっても物語の犯人はわからない」とは原作者・中山七里先生の言であり、その気持ちのやり場に困る真相を問題提起と捉えるのは狙い通りとしても、やはり連続餓死殺人は流石に空想の域では?ってのも思っちゃうんですよね。
被害者を監禁・放置して死に至らしめた場所は震災で放棄された廃屋ってことで、発見を遅らせるロジックはしっかりしてはいるんですが、それ以前の拉致監禁とか証拠も残さずにやり遂げるのは流石に無茶です。
犯行方法自体は原作も同じっぽいので、ここら辺は映画が悪いってワケでもない気がしますが、ザッと原作の解説とかも見たところ、やっぱり映画ならではの改変点やロジックの足りなさで余計に説得力を失ってしまった気がしてなりません。ここら辺はあとで原作読んだ後にまた加筆するかもですが。

そんなわけで、言いたいことも伝えようとする気概もわかるけれど、あまりに伝達方法が直接的かつ極端なので逆に伝わらなくなってしまった作品ってのが僕の最終的な評価かな……完全にテーマを放り投げた『ドクター・デスの遺産』よりは、テーマに真摯であろうとする意志は感じられるんですけどね。伝え方がまずかった気がしてならないです。
まあ、原作版『ドクター・デスの遺産』が実際に読んでみたら「犯人は捕まえたが、罪を捕まえられなかった」という絶妙なバランスで成り立っていましたし、映像という形にすると途端にこのバランスが崩れてしまうのが中山七里作品の実写化の難しさかもしれません。本作のネックの一つは、連続餓死殺人をいざビジュアルにすると強烈すぎるって部分ですしね。

ただ、本作の映画による改変点ならではって魅力もありまして、事件を追う者である笘篠と、追われる者である利根が共に被災者としてニアミスしており、震災で「護った者」と「護られなかった者」とを区分して人物関係を再構築した部分はなるほどと感じました。
この明確に311を基点にした物語づくりは、やや作為的に感じてしまう部分はあるものの、笘篠と利根の対話をドラマチックにする効果があり見応えがあります。