平野レミゼラブル

ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれからの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

4.6
【青春とは通過するもの。人生の山場はまだまだこれから――】
こういうね、青春恋愛モノって素晴らしいですよね…きゅんきゅんしちゃいますね……
ラブレターの代筆を通しての三角関係が構築されるストーリーとか、基本的な流れは非常にありふれたテンプレート。しかし、本作は冒頭からプラトンの「人間は分かれた半身を探し求める」といった哲学に始まり、その後も各分野での著名人の恋愛哲学が挿入される知的な面が目立ちます。
さらに、代筆をする女の子エリーが好きなのは代筆を頼んできた男の子のポールではなく、そのポールが好きな女の子アスターだというLGBTQに則したアップデートが成されているのも特徴的。基本テンプレに沿いながらも本作ならではの独特性に繋がっているのが魅力です。
また、恋愛に留まらず、閉塞的な町から抜け出したいと願う縛られた若人たちの焦燥感や葛藤も絡んできて、青春モノとしての側面も素晴らしい!

引用元も哲学の他に多岐に渡っていて、主にエリーの父親が英語の勉強に観ている往年の恋愛映画も対象になっています。作中で映像付きで引用されたのは『カサブランカ』、『ベルリン、天使の詩』、『フィラデルフィア物語』、『街の灯』、それと小説でしたが『日の名残り』。不勉強ながら全部未見だったのですが、この辺りを全部観ておくとより理解が深まるのかな?これからちょくちょく観ていくことにします。

さて、ラブコメにおいてキャラクターへ没入感をもたせてやきもきさせることは重要だと思うのですが、本作の主軸となる3人も非常に素晴らしいキャラクター造形となっています。
主人公のエリーは余所からド田舎へとやってきたアジア系の眼鏡女子。頭が良くて宿題の代筆業も行っていますが、街では疎外感すら感じる人種であり、そして自分の隠している性的マイノリティや中々職に就けない父親への複雑な感情も相俟ってかなりスレています。そのクセ、ラブレターの文体でわかる好意の表し方や好きな人の前での態度などはピュアなので可愛い。
エリーに代筆を頼むポールはアホの子気味ですが、その分家業のタコスソーセージの改良に勤しむ努力家で優しい男。エリーを揶揄う奴らにも憤って追いかけたりする真っ直ぐさが愚直でやっぱり可愛い。つまり、この2人が絡んだら超可愛い。最高。きゅんきゅん!
そんな彼女・彼がラブレターのターゲットにしたのが、クラスのマドンナであるアスター。理知的で品が良く、スレンダーで美人。誰にでも気さくな良い娘ではありますが、高嶺の花でもあるため中々落とすのは大変そうに思えます。しかし、彼女も輪の中心でいること、頭が良すぎること(周りがバカすぎるともいう※後述)で孤独を抱えた存在であるというのが肝となります。つまりそこが突破口になるわけですね!!

物語の中心となるこの3人が本当にみんな微笑ましいキャラクターをしているので、3人が絡むだけで楽しいのですよ!それぞれエリーとポールはある種の戦友関係、ポールとアスターは不器用な男女関係、そしてエリーとアスターの思わぬ共感関係……
見事なまでの三角関係になっており、お話が進むにつれておそらく皆さんお察しの通りの一波乱もあります。それでも、彼女たちの仲が変に拗れてギスギスするのではなく、どこか可笑しさが込められたズレによる波乱なのが安心要素。やっぱり彼女達は良い子たちなのでね、最後まで微笑ましく眺められる雰囲気が持続するのは本作の一番良いところと言ってもいい。

前述の哲学要素とかもこうした雰囲気作りに一役買っていて、なんというか程よく知的で程よく優しいって空気がとても良いんだ。LGBTQ要素にしても極々自然に表現していて、鼻につくワケじゃない。むしろ彼女たちは高校生という立場で、性別に関係なく憧れだとか友情だとかを他者に見出し尊重している。これはやっぱりラブコメである以前に輝かしき青春映画でもあるのです。


ちなみに本作の舞台は敬虔なカトリック教徒しかおらず保守的なスクアヘミッシュという片田舎。となると、『惡の華』におけるクソムシティのようなじめじめと息苦しい閉塞的な雰囲気が漂いそうなものですが、本作にはそういう空気とは無縁で、カラッとしていて観やすかったのも面白かったですね。エリーらアジア系の一家への疎外感は強いし、エリー個人なんて登下校中にいつも揶揄われているという状況なのに、全体的な雰囲気はほわほわと牧歌的。

なんでこんなことになってるのかというと、このスクアヘミッシュ、ド田舎すぎて全てが低レベルというかアホの街と化しているからなんですね。なんせ女子トイレで聴こえる会話が「休日にGAPの店に行ってジーンズを買ったら超オシャレ」なんですよ!今時JKのステータスが…GAP……(絶句)
他にも「ラグビーの県外対抗試合で1点獲っただけで何十年ぶりの快挙だし英雄扱いされる(試合自体はボロ負けしている)」、「クラスカースト最上位の男子達の一番の娯楽が泥の中で車を走らせエンストしなかった奴は『泥の王』を名乗るゲーム」、「ヤクルトが街の遠くにしか売ってないのでいざヤクルトが出る自販機を見つけたらまとめ買いする」と作品が進むにつれてスクアヘミッシュのアホっぷりがどんどん沸き出てくるのが凄い。確かに自販機でヤクルト売ってるのあるけど(90円で2本のやつ)そこで買う人めったに見ないし、ましてまとめ買いする人なんて初めて見たぞ!!

スクアヘミッシュの終わってる感じは、そりゃエリーもアスターも出ていきたいと言い出すわなという納得を生むんですが、ポールを始めとする大多数は割と自然に受け入れていて、普通に幸せそうなので「じゃあいっか…」って気持ちにもなるんですよ。そのため変なストレスにもならず、それでいてエリーの「この街は私とアスター以外、バカばかりだ…」という中二病じみた思いに心から「そうだね…」と共感できるのです。

あと『面白いのはこれから』という副題も凄く良いですね~。作中でエリーパパが映画を観ながらよく言う「ここからが山場だ」を踏まえた題なんですが、僕の尊敬する故・和田誠さんの『お楽しみはこれからだ』に近しい文言にしたことにしみじみとします。そして、この副題の意味するところが、これ以上ない彼女達の青春へのエールだなと思ったり。
振った振られた惚れた腫れたで一喜一憂する青春時代。多感な時期ですし、つまんないことでこの世の終わりだとか、もう人生詰んでしまったとかの気持ちにもなるかもしれないけど、ちょっと待ってほしい。人生と言う映画において、そこはまだ序盤も序盤。これから絶対に楽しい見せ場が待っているし、一波乱も二波乱もある展開が起きるに決まっています。なんてったって『面白いのはこれから』なんだから!

超絶オススメ!!