るるびっち

哀愁しんでれらのるるびっちのレビュー・感想・評価

哀愁しんでれら(2021年製作の映画)
3.7
「正義は勝つ」に対するアンチテーゼは、昔なら「正義は負ける」とか「正義なんてこの世にはない」だったろう。
今は「正義ほど厄介なものはない」「正義を語る奴ほどタチが悪い」なのではないか。

SNSでの過剰な正義感による違反者叩き。
現実にもマスクをはめてないからといって、子供や老人を殴る事件が起きた。
ルールを乱す奴が悪で、暴力は肯定されているようだ。

本作の土屋太鳳も、過剰な正義感や倫理観を持っている。
母親はこうあらねばならないとか、非常識なモンスターペアレントへのヘイト感など。
そこに過剰反応するのは、逆に強く意識し過ぎているということ。
正義感が強すぎて、ノーマスクの相手を子供でも老人でも殴るという逆転が起きるのだ。
本作も、ミイラとりがミイラになる話である。
普段、正しい事にこだわる人ほど、気付けば道を踏み外すという寓話だ。
日本式シンデレラの寓話と言えよう。

初めは歪んだ家族に飲み込まれ「良き母」「良き妻」でいようという、日本式の女性への抑圧のせいで、健全な土屋太鳳演じる小春が闇落ちする話だと思った。
小春の父親の台詞。
「みんな自分の居場所に麻痺するんだよ、初めは抵抗があってもいずれ痛みなんて感じなくなるもんさ」
これは、テーマを語っていると思った。

しかし振り返ると、元々小春は攻撃的なのだ。
冒頭、ネグレクトの母親の腕を痣が出来るほど掴む。
泥酔して電車に轢かれそうな男を、見殺しにしようかと躊躇う。
決して純粋無垢な女性が、歪んだ夫や連れ子のせいで彼らに合わせないと女の幸せは無いという、日本的な家族制度の抑圧で歪んだ訳ではない。
実は元々、彼女は内に秘めた暴力性や破壊衝動を強い倫理観・正義感・こうあるべき感などで押さえ込んでいた。
歪んだ家族のせいで、そのストッパーが外れてしまったということだろう。

監督が3回断られても土屋太鳳のキャスティングに、ストーカーのようにこだわった理由がここにある。
純粋無垢で、常に正しさオーラを全身で放つ稀有な女優・土屋太鳳。
彼女が主演なので、皆、純粋なシンデレラがサイコな夫と子供のせいで闇落ちしたと錯覚している。
それはミスリードだ。
実は小春の方が、サイコパス体質だったのである。

だからサイコパスっぽい子供の殺人容疑は、濡れ衣である。
あれは単なる事故だったのだ。
『金田一耕助シリーズ』でマスク被った奴とか三本指の男とか、どう見ても一番怪しい奴が絶対犯人じゃないのと同じ。
サイコパスに見える奴ほど普通で、健全に見える奴こそサイコパスなのだ。
土屋太鳳のイメージの勝利である。
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