マンボー

スパイの妻のマンボーのレビュー・感想・評価

スパイの妻(2020年製作の映画)
4.0
黒沢清監督の映画を映画館で観るのは、20有余年前の「CURE」以来。

当時は隔週発売のキネ旬を買っていて、そこで数人のうるさ型の批評家がこぞって大絶賛をしていて、どうしても気になって、普段はあまり行かない映画館を調べて足を運んだ。世紀末の現代的で虚無的なホラー。引きのカメラワークと、不安定な角度で不安を呼び起こす演出。輪郭を切り取りにくい危険な液体のようなイメージのストーリー。

当時、入れ替え制のない映画館だったので、一度観てモヤモヤし納得できなかったので、続けて二度目を観たが、さらに濃い霧が立ち込めたような気分でフワフワとうつろに映画館を後にした。
確かにストーリーも演出も独特ながらよく考えられている。でもどこか腑に落ちない。すごく面白いとは思えないし、好きでもない。何だか実は中身は空っぽのような気もする。割り切れない気持ちを持て余して、以来、かの監督の作品を観る機会に恵まれなかった。

本作には、「CURE」の黒沢清監督らしさも確かに残っていたけれど、かつては空っぽに感じられた中身の一部が埋められて、格段に観やすくなっている気がした。

一つは、歴史と時代考証を取り入れていること。そして伏線をいくつか張り巡らせてあり、その中に昔は感じられなかった遊び心と懐の深さが感じられたこと。

1990年代のNHKのドラマは好きではなかった。小綺麗なセットや美術に、何の味わいも感じられず、それだけでストーリーを追う気が失せたことすらあった。

本作には残念ながら、その臭いが残っている。夫婦の暮らす洋館、夫の経営する商社の部屋や倉庫。汚れが本物ではないし、奇妙に整っていて、作りものの臭いが強い。よく思い起こせば、軍の施設の室内も、船の倉庫もそうだった。

スパイの妻という題は、主役の妻目線のもので、彼女の夫はいわゆるスパイとはいえない。少なくても夫本人は自分をスパイだなんて少しも思っておらず、彼は自らをコスモポリタンだと語っていて、俯瞰で見れば夫の考え方こそ妥当だといえる。

つまり本作は思い込みの強い女性の、極端な生きざまに、時に息を呑み、ハラハラし、応援して頭を抱え、裏切られて、また裏切られて、さらにまた夫の思いやりによって本人がお見事に裏切られるストーリーでもある。

戦前の港町の裕福な家庭のモダンぶりには大正浪漫の残り香がある。寒風の吹きすさぶ有馬温泉の老舗旅館のシーンには、大正期以降の文人たちが温泉旅館に長逗留している様子も思い浮かぶ。

時々、兵庫や大阪で戦中を過ごした手塚治虫の「紙の砦」や「ガチャポイ一代記」、「どついたれ」のシーンがよぎったりもした。

そんな時代考証ぶりや、マニアックになり過ぎないように抑えた細菌兵器の開発を巡る物語のプロットが、この監督の好む題材や演出の空虚さを幾分埋めて、普通の人でも理解しやすく興味を持てるようにと調理されて提示された印象があった。

深くはないが浅くもなく、それなりに考証が加えられているので観ていられる。黒沢清に、歴史を加えると、それなりに新たな化学変化が生じて、いくらかの大衆性と見応えとが増した印象になっていた。

戦前の上流階級の独特でやや不自然な堅苦しい話し言葉を、いかにも黒沢監督らしい長回しの演出で撮影するので、序盤から違和感と芝居臭さがあることは否めないが、字幕で見る外国人には、そんな短所はほぼ分からないだろうし、万国共通の題材に、当時独特のいかにも日本らしい文化と欧米の文化とが混淆して描出されていることもあって、海外受けする作品だと思う。

そして全部ひっくるめて、初めのアイデアのいくつかはすばらしく面白いものの、ちょっと表層的でもあり、類型的なエピソードを組み合わせたストーリーに陥りかけているが、それでも黒沢清監督と歴史との相性は良く時代考証が作品の質を上げており、さらにホラーやサスペンスで鍛えた手法も時々見られて、その部分の演出力はやはり極めて出色で飽きさせられない。

総じて、登場人物がやや現代的すぎ、さらに全体に、意図的にテーマに関わるストーリーの掘り下げを浅くしていて、虚構独特の物語としての脆弱さにも映って、ほんの少し物足りなさも残るが、虚構を利用した工夫や、独特の考証にシーンによって味わいがあり、戦中を扱った創作としては意外性もあって、見る価値のある作品だと思う。

あと、人間の根源的な欲望や情動に訴えるシーンがあれば、普遍的な傑作にもなりえた作品だと思うが、それでもいくつかのアイデアを組み合わせ、知的に虚構を組み立てたという意味で、模範の一つといって何の過言もない作品だと思う。

歴史とフィクションとが嫌いでないなら、こんな作品も見ておくと、ちょっと幅も広がり、映画を観る目も肥えると思う。