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ノマドランドのShingoのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
2.6
本作はドキュメンタリー原作であり、映画としても半ばドキュメンタリーのように作られているのだが、個人的には主人公ファーンが夫との死別から立ち直るまでの過程を描いた物語として鑑賞した。
「ノマドランド」というタイトルには、ワーキャンパーをノマド=遊牧民とみたてて、低賃金の高齢労働者を生み出しているアメリカ社会への皮肉がこめられていると思うが、必ずしも彼らを消費社会の犠牲者としてばかり描いているわけではない。
自らの選択として、その道を選ぶ様子も描かれる。

冒頭から、初老の女性が排尿する場面で始まり、足早に車に戻るところでタイトルが入る。これ以降も、腹を下して慌てて用を足す場面や、洗濯した自分の下着をたたむ場面などが入り、露悪的になるギリギリのラインでリアルさを追求している。逆に、全裸で清流に身を任せる場面などもあり、この辺りのバランスは女性監督ならではの演出だと感じた。
※男性ではなかなか撮れないだろうと思う。

本作では、「ホーム」がキーワードになっていると思うが、ハウス=家は、人を土地に縛りつけるもの、あるいは定住の象徴として扱われる。一方で、ワーキャンパーには住む場所としての「ハウス」は存在せず、心の中の「ホーム」だけがある。
ファーンにとっての「ホーム」は、物語冒頭ではまだ夫と暮らした街にあるが、ワーキャンパーとして各地を転々とする中で、その定義が変化していく。
土地との結びつきから解放されると共に、夫の死を受け入れていき、最後には土地を捨ててノマドとして生きる道を選ぶ。

人を消費社会に縛る象徴としての「家」は、つい先ごろも胸糞映画「ビバリウム」で見たばかりだ。マイホームを買って夢の生活を。そんな謳い文句が、ただの営業トークに過ぎないことは、すでに明らかになってしまった。
だが、多くの人にとってハウスはホームであり、そこから逃れることは容易ではない。ファーンの妹や、息子夫婦との同居を決めたデイブは、安心安全な家から離れることはできなかった。
しかしファーンは、彼らの誘いを断ってまでも、一人で生きていくことを選択する。

それは決して、ワーキャンパーの生活が魅力的だからというわけではないだろう。実際、本作ではその生活がいかに不安定で過酷であるかを余すことなく描いている。むしろ、それらを受け入れてでも、家や土地に縛られたくないと感じていたように見えた。
ファーンの前には、何人かのワーキャンパーが入れ替わり立ち替わり現れ、いくばくかの時を共に過ごした後に去っていく。ファーンにとっては、この一期一会の距離感が性に合っていたのかも知れない。

実は、自分は孤独を愛していたのだ、という気づきと共に、彼女は人生の最後を一人で生きると決めた。本作は、その決断を肯定も否定もしない。ただ、一人の女性が自分の道を見つける過程を、ありのままに描いた。アメリカの大自然を背に、毅然と立つ彼女の姿は美しい。
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