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アイの歌声を聴かせてのbackpackerのレビュー・感想・評価

アイの歌声を聴かせて(2021年製作の映画)
4.0
Filmarks試写会にて鑑賞。
『アイの歌声を聴かせて』(以下、本作)が、細田守監督の『竜とそばかすの姫』(以下、『竜』)と同じ2021年に公開されたということは、非常に意義深いものだと思います。(ついでに『シン・エヴァンゲリオン劇場版』と同年ということも挙げておきましょう。)
『竜』を引き合いに出し、色々私見を書き殴らせていただきます。

ーーー【あらすじ(公式サイト抜粋)】ーーー
景部高等学校に転入してきた謎の美少女、シオン(cv土屋太鳳)は抜群の運動神経と天真爛漫な性格で学校の人気者になるが…実は試験中の【AI】だった!
シオンはクラスでいつもひとりぼっちのサトミ(cv福原遥)の前で突然歌い出し、思いもよらない方法でサトミの“幸せ”を叶えようとする。 彼女がAIであることを知ってしまったサトミと、幼馴染で機械マニアのトウマ(cv工藤阿須加)、人気NO.1イケメンのゴッちゃん(cv興津和幸)、気の強いアヤ(cv小松未可子)、柔道部員のサンダー(cv日野聡)たちは、シオンに振り回されながらも、ひたむきな姿とその歌声に心動かされていく。 しかしシオンがサトミのためにとったある行動をきっかけに、大騒動に巻き込まれてしまう――。 ちょっぴりポンコツなAIとクラスメイトが織りなす、ハートフルエンターテイメント!
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上記あらすじを踏まえつつ、本作で描かれる下記要素を、本レビューにおける前提とさせてください。
①音楽が力を持つ作品である
②発達したAIが日常的に使用される世界である
③高校生の少年少女の青春ものである

これらの要素は、『竜』と非常に似通った性質です。
そのうえで、『竜』を引き合いとした本題に入ります。
本作は、細田守監督がやりたかった要素を、美しくやり遂げた作品でした。
それはなにか?『竜』において細田守監督が挑戦することを志向し、作品にそぐわず断念した要素。いつかやってみたいと思いつつ、ディズニーへのリスペクトという部分だけを残したため、『美女と野獣』のある種のパロディと化してしまった、そんな要素。

その要素とは……、
ミュージカルであるということ!!

【⑴ミュージカルアニメ映画】
アニメーションでミュージカルを描くというば、これはまさにディズニーアニメの十八番。外国製アニメでは良作が山ほどありますね。
所変わって日本はどうでしょう?別に日本アニメ史の専門家ではないためわかりかねますが、日本製ミュージカルアニメ映画の有名作品と言われても、パッと思いつきません。劇場版プリキュアとか?
『心が叫びたがってるんだ』なんかもそうかもしれませんが、あれはミュージカルというよりも音楽アニメの分類な気がします。

そんなミュージカルアニメについて細田監督はインタビューにて、「ミュージカルアニメを作りたかったけど、『竜』ではできなかった」という旨の話をしています。
物語にミュージカルシーンを入れようとしたとき、作劇場親和性を持っていなかった、というような理由です。

一方本作でのミュージカルの描き方はどうか。
簡単に触れますと、猪突猛進AIロボットのシオンが、主人公サトミとの初対面から突然歌い出すのを筆頭に、何かと歌いまくります。
目の前で突然歌い出すシオンに対し、サトミ及びメインキャスト御一行は終始タジタジ、「迷惑だしやめて!」と困惑しながら、振り回されて奔走。
ミュージカルシーンが物語を寸断せず、地続きに描いていきます。
ところで、ミュージカルが苦手な人からは、「突然歌って踊り出すの変じゃね?」という言葉をよく聞きます。
しかし本作では、シオンが"なぜ歌うのか?"という疑問に対し、明確な理由が終盤に示されるため、「歌って踊るのは意味がある」と最終的に納得がいき、作劇上の無理を感じません。

ということで、本作は、物語におけるミュージカルシーンの親和性が作劇上無理がない、よくできた映画でした。

ついでに言うと、本作のミュージカルシーンは、ディズニープリンセスをオマージュした劇中作品を基にしたミュージカルというのもポイント。
ディズニーミュージカルのオマージュは、『竜』で細田監督が明確に寄せて見せた要素。「ストレートになぞりすぎ」「作品自体に必要な要素か疑問」等の考えが頭を擡げ、正直微妙な印象ではありますが、吉浦監督に上手いこと後の先をとられてしまったような印象です。
(細田・吉浦両監督が、同じような作品を、同じ時期・期間に製作し、公開の後先が分かれただけにすぎませんが。)


ミュージカルアニメについてはひとまずこの辺で。
次に、主人公たちの境遇に通底する"孤独"と、私がこの手の作品でいつも扱いに不満を抱く"親"について。

【⑵主人公の抱える"孤独"と"親"】
主人公の"孤独"は、自身の居場所・拠り所・立場等や、自分を無条件で守り、愛してくれた存在や空間を失うことで描かれる事が多いです。(最初から持っていない故の孤独もあります。)
そこで使われる便利題材が、"親"の喪失。
大概の場合、主人公は子どもサイドなので、"親"の苦しみや孤独は詳にされません。そこがもどかしい。
しかし、2021年は"親"の抱えた孤独、特に、妻に先立たれた夫の苦しみを描いたアニメ映画も公開されています。そう、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』です。
期せずして2021年は"親と子"の関係性(特に遺された者としての親と子)が描かれたアニメ映画が豊作だったわけです。

『竜』においての"孤独"は、"母親の死"という環境要因が重大なキーとなっており、重い背景・トラウマからくる強烈な苦しみを抱えた主人公が描かれておりました。
その孤独をどう癒すか?それはネット世界、そして音楽だ!というのが大筋ですが、別に癒しの物語でも成長の物語でもなく、宙ぶらりんな印象が残ります。
"親"については、妻に先立たれた夫であり、娘を気にする男親としての"父親"には、殆ど光が当たりません。
残念ながら、主人公の物語に含める余裕はなかったみたいですね。

本作での"孤独"は、"両親の離婚"に伴い母子家庭となったため、母が自分のためにも頑張ってくれているが故の"寂しさ"と、幼馴染の少年トウマのために実施したある行動が原因で学校内で"孤立"した、という二枚看板。
でありながらも、『竜』のように〈人の生き死に〉由来ではないため、とっつきやすいのが本作の持ち味。
母親との関係性も明るく前向きに示され、物語が進行するにつれ自分を理解し認めてくれる友達ができる展開も、孤独から徐々に解放されていくため、清々しいですね。

なお、危機・転にあたるところでは、紆余曲折あり再び孤独を求めるサトミの苦しみを、トウマがどのように解きほぐすか、というのが見せ場になります。
非常に固い鉄板の展開ながら、真摯さ・切実さ・誠実さ、色々な要素を真っ直ぐに向けてくるため、「それでいいんだよ。それがいいんだよ」となります。

"親"との関係性は、常に前面に出される要素です。母親の人となりは説明せずとも見てればわかる自然さ描写し、サトミはいつも母を思ってる。また、母との関係性が一時的に破断してもしっかりリカバリーされ、クライマックスでは主人公たちの起こす行動を支援する重要な役割を果たします。この扱い、総じて好ポイント。

小括します。
死別と離婚という重大な相違はあるものの、"孤独"な主人公に残された"片親"という関係性を描いたという点においては、本作の脚本や作劇は『竜』よりかなり見やすく、展開は手堅いながら気持ちのいい内容でした。


他にも細々書きたいこと(ずれ込んだにしろ、AIが自我を持つ『フリーガイ』との比較とか)はあるのですが、「2021.10.21までにレビュー投稿すること」がFilmarks試写会鑑賞後の条件のため時間がなく、ひとまずこれくらいで。
遅筆なうえ文才がないのが悔やまれます……。
そのうち書き足していくかもしれませんので、その時はこの文含め諸々修正したいですね。推敲もガバガバですし。

なお為念補足ですが、上記に挙げた本作の要素は、いずれも「そうであって厳密にはそうでない」ような要素でもあります。
直接的なジャンル分類するより、複合的に見るべきというニュアンスです。

また、これは映画本体に対してではないんですが、一つ懸念事項があり備忘的に残しておきます。
懸念事項、それは、配給が松竹(&イオン)ということ。
イオンシネマは最近アニメ映画に攻勢をかけているんでしょうか、『神在月の子ども』もイオンでしたね。同じ親子関係を描く映画としては本作の方が数段上で好きでしたけど……。
それは置いておいて、松竹とイオン配給に戻ります。これ、正直不安です。
『竜』は東宝メイン配給で、TOHOシネマズ及び全国シネコンが大々的に公開していましたが、今回はTOHOの主要館での上映は見送り。これは痛い。映画館の大小抜きにしても、公開劇場数が『竜』より全然少ない!(イオンシネマオンリーの県もかなり多いです。)
首都圏では、グランドシネマサンシャイン池袋が名を連ねてるのが辛うじて安心材料でしょうか。イオンと仲良しだからやって当たり前か。

このネックを打破するのは難しいかもしれませんが、『竜』より数段とっつきやすいシンプルさがありながら、最後までしっかり青春していて、最初から最後まで面白いと感じます。
若年層やティーンエイジャー、お子さま同伴のファミリー層にもおすすめです。
願わくば、大ヒットして公開劇場が増えますように。
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