タケオ

激怒のタケオのレビュー・感想・評価

激怒(2022年製作の映画)
4.2
-怒れ、真の個人であるために!『激怒』(22年)-

 大変パワフルな作品である。低予算のインディーズ映画ではあるものの、制作陣の「こういう映画がつくりたい!」という情熱がスクリーンを越えてヒシヒシと伝わってくる気合いの入った1本であり、そういう意味において本作は、たとえばジョン・カーペンターの『ハロウィン』(78年)やサム・ライミの『死霊のはらわた』(81年)と同じ地平に位置する作品だといえるだろう。
 本作『激怒』(22年)を制作するにあたり監督の高橋ヨシキは、「クレイジーで、バイオレントで、黒い笑いを伴ったエンターテインメント(パンフレットから引用)」を目指したという。しかし実際のところ本作は、あまりゲラゲラと笑える作品ではない。あるいは、こう書いたほうが正確だろうか。たしかに本作は優れたブラック・コメディではあるが、閉鎖的かつ排他的などん詰まりの現代日本の姿があまりにも赤裸々に描かれているため、観ていると少しずつ笑顔が引き攣っていき、「いま自分はこの映画を笑っていることができるのだろうか?」という疑問が少しずつ頭を擡げ出してしまうのだ、と。「安心、安全」のスローガンを掲げ高圧的なパトロールを繰り返す見回り隊、歪んだ差別意識を隠そうともしない権力者、黒塗りの公文書、そんな体制に疑問を抱くことすら忘れてしまった従順な市民たち。端から見ればギャグでしかない、あまりにも滑稽かつグロテスクなディストピア。しかしそれは、現代日本では最早ギャグではなくなってしまった。本作で描かれる、自らを絶対的に正しい立場だと信じて疑わない人々の、「正義」の名のもとに異端者たちを排除しようとする非人間的言動は、現実のSNSやニュースでも日常的に垣間見ることができるものだ。観ていて本当に暗澹たる気持ちにさせられる作品である。
 しかし本作は、決して絶望では終わらない。我慢に我慢を重ねた果てに『激怒』は、ジャンル映画ならではエクストリームかつバイオレントなやり方で、最低最悪な現代日本に血塗れの鉄槌をくだしてみせる。虐げられし者たちが反撃へと転じる『ミディアン』(90年)さながらの怒涛のクライマックス、そのカタルシスはただ事ではない。純然たる「怒り」というパワーに身を任せ、遂に一線を越えていく主人公たちの姿は、息を飲むほど美しい。何故ならそれは、自らとは異なる他者を「不潔で穢らわしい存在」として排除しようとするような愚劣極まりない思想とは対極にある、どこまでも清く美しき「真の個人」の表明でもあるからだ。
 さぁ、「良識」という名の圧制に牙を剥くビューティフルな狂人たちに喝采を送ろうではないか。然るべきときには怒れ、NoというべきときにはNoと叫べ。真の個人であるために、自由であるためにだ。
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