平野レミゼラブル

私は確信するの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

私は確信する(2018年製作の映画)
3.8
【「確信」という名の檻に囚われて】
2000年2月、大学教授ジャック・ヴィギエの妻が失踪。その後、ジャックが妻を殺した容疑者として裁判にかけられることになるが……というフランス中で議論を巻き起こした「ヴィギエ裁判」を軸にした実話系半フィクション法廷ドラマ。
劇中では殺人事件として争われていますが、実は未だにヴィギエの妻の遺体は確認されておらず単なる失踪の可能性もあるという辺り、かなり情報が錯綜している事件でもあります。そんな証拠不十分の状況のため、一審は陪審員によって無罪判決を受けるのですが、検察側は前代未聞の控訴請求。映画はこの二審の様子を、ノラというフィクションの女性の目線で描いていきます。

実話ベースとは言え法廷モノの為、やはり映画の進み方はミステリを意識してしまいます。実際、主人公のノラはシングルマザーの料理人ではありますが、優秀な弁護士であるモレッティを手配し、彼に協力して推理を進めていく為、役割はさながら素人探偵。彼女は情報整理能力に優れており、渡された事件関係者の通話記録(全250時間!!)を熱心に聴いては重要な証拠を次々発掘していきモレッティをも感嘆させます。

そして、この決死の捜査の末に見えてくる疑惑の人物というのが、妻の愛人であるデュランデ。彼は妻の失踪直後に、その友人や知人に「ヴィギエが犯人」という誹謗中傷を流布しており、裁判に召喚された証人達というのもそのデュランデが流布した噂を信じただけの人間ということを突き止めます。
そこで、ノラとモレッティはその証人一人ひとりを裁判所に呼び寄せ、順々に「信用できない証人」であることを看破。ノラが調べ上げ、モレッティが糾弾して次々と「撃ち殺す」。このチームプレイのテンポが実に良くて、気分も高揚します。そして、後はラスボスと「確信」したデュランデを裁判に引っ張り出して矛盾を引き出せば、ヴィギエは無罪判決を受けてゲームセット…!

しかし、思えばこの瞬間にはもうこの映画の術中にハマっていた。
本作はタイトルにも使われている「確信」の恐ろしさを描いた映画でして、ヴィギエの有罪ではなく、無罪を「確信」している側もまた恐ろしいということを示しているのです。


法廷劇の傑作である『十二人の怒れる男』でも主人公である陪臣員8番は、一般人でありながら鋭い指摘と確固たる信念で、見ず知らずの被告の少年の有罪判決を覆そうとしていました。
そして、本作のノラも他者(一応ヴィギエの娘が息子の家庭教師という繋がりはある)を無罪と信じ、本職やプライベートをも投げ打って奔走する為、なるほど陪臣員8番のようなヒーローのように見えます。
しかし、その滅私奉公の精神は他に向けられる目を曇らせてはいないだろうか?彼女は後半からは「デュランデこそ真犯人」と確信して推理と捜査を続けるんですが、これが一番危うい行動なんですよね。「ヴィギエの無罪」を証明する行動から逸脱し始めてしまっている。
ノラの息子も家庭さえ蔑ろにし始める彼女に不信感を持ち「デュランデが妻を殺す動機もないんじゃない?」という疑問を口にするんですが、彼女はそんなことはないと滔々と息子にその根拠を説明します。その際に、部屋を外から映す構図になるのが印象的で、窓の格子がちょうど檻みたいに見えるんですよ。

これは「確信」という名の檻。
ノラは彼女が「確信」した真実に逆に囚われ、「確信」以外のモノを拒絶するようになってしまったのです。


「なるほど、素晴らしい想像力だ!推理小説家になることをオススメしますよ!!」
ミステリにおける常套句であるこの言葉が、これ程にまで綺麗に突き刺さる作品ってのも珍しい。
…というか全く同じ言葉を、ノラは弁護士のモレッティからかけられます。
最初はノラを信頼していたモレッティも、彼女の狂気とも言える事件への入れ込み具合や、隠していたある事実を知って以降は彼女を遠ざけるようになるんですね。
そして本作はミステリではない為、実は弁護士の言説の方が正しい。最終弁論でモレッティが演説する「裁判の本当の在り方」というのが「確信」という檻に囚われた人々への痛切なカウンターになっており、かなり聞き応えがあります。そしてそのカウンターはノラにも向けられたもので……


法廷モノというジャンルでありながら、そういったジャンルを好む人が陥りがちな部分に問題を投げかけるのが実に面白く、よく出来た作品であると言えるでしょう。
反面、そういう作品にする為にノラの人物像をかなり作為的にしている印象は強いです。いや、彼女周りは完全なフィクションだってのはその通りなんですが、それでも彼女があそこまで裁判に拘る理由が薄いのは気にかかります。全くの他人が「確信」に囚われていく過程を描こうという意図はわかるのですが、それでもそうするに至る説得力はもう少し欲しかったところ。
でも、やっぱり本作で問題提起した「確信」の危うさというテーマの咀嚼は巧く、法廷モノとしても期待以上の緊迫感を伴った優れたモノだったため、見応えは凄くあると「私は確信」しましたね!

オススメ!!


しかし、本作の感想書いてて思い出したのは、和田誠さんと三谷幸喜さんの『それはまた別の話』という映画対談本。その中で例にも挙げた『十二人の怒れる男』をお二方が語っているんですが、お二人とも映画自体は傑作で大好きとした上で「主人公の陪審員8番は嫌なヤツ」と語ってるんですよ(笑)
曰く「陪審員8番はたまたま他の陪審員たちが少年を有罪と決めつけていたから無罪と主張しただけで、もしも他の陪審員たちが無罪と言った場合は彼は間違いなく有罪と主張しだす」とか。そう考えると、確かに8番は話し合いを重んじる割に自分の意見を曲げないし、3番の家庭事情を勝手に「確信」した上で皆の前で糾弾したりで、コイツもなんか「確信」に囚われた人間じゃねェか!!やっぱり素人探偵はロクなもんじゃねェ!!!
このようにしてアンチ陪審員8番は生まれていくんだなァ……