平野レミゼラブル

明日の食卓の平野レミゼラブルのネタバレレビュー・内容・結末

明日の食卓(2021年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

【ミステリとしてのミスリードから見えてくる普遍的な母子の問題】
もはや何カ月前に観た映画の感想だよって感じですが、実際感想負債を滅茶苦茶溜めちゃってるんで続々蔵出ししていきます……
本作、試写会の日取りを間違えるという大チョンボをやらかし、折角遠出したのにそのまま帰るのもなんだか勿体ないということで急遽会場近くの映画館で観賞した映画です。一応、新作映画の中でチェックはしていたものの、詳しい内容まで調べる余裕もないまま観たんですね。
しかし、開始数分で謎の既視感があり「何故?」と思ったのですが、『明日の食卓』のタイトルバックで氷解。そうだ!俺、この映画の結末だけ知っているぞ!!

というのも、本作の原作本を数年前に母に薦められていたのですが…
「石橋ユウって男の子が冒頭で母親に殺されて、その後に3組のユウって男の子がいる石橋家が出てくるの。そして、どのユウ君が死んでしまったのかって感じで進むのね。まあ、死んだユウ君はそのどの家庭の子でもないんだけどね。読んでみて!」
…という「なんでそれで読むと思った?」って薦め方だったため結局読まずじまいだったのです。いや、本当何故結論を先に言った!?

そのため、徐々に不穏になってくる3組の石橋親子の様子を観せられても「冒頭で死んだ子は彼女たちとは全く関係ないんだよな~」となり、ミスリードにちっとも引っ掛からないという事態に陥ってしまいました。
みぽりんが子供を殺してしまったかのような描写が入り、次の場面で刑務所の接見室だった時も「第四の石橋家へのインタビューだな」となった為、驚きがゼロという。重ねて言いますが、母上、何故結論を先に言ったのです???


とはいえ本作、ミステリー作品ではなくこの部分は実は肝ではないので、まあいいのです。
本作の実際の肝は、三組のユウという子供を持つ石橋家それぞれが抱える多様な問題を浮き彫りにしていく点。その中で様々な観点から抑圧される母親の苦しみと、それを眺めて育つユウの鬱屈を丹念に描いていく社会派人間ドラマとなっています。

三組の石橋家はそれぞれ上流、中流、下流に分けられます。
主体となるのは中流家庭である東京の石橋家で、菅野美穂演じる留美子はヤンチャな弟と、そんな弟が面白くない兄ユウら息子が起こす騒ぎや喧嘩に振り回されてストレスを溜めながらも、子育てブログを運営して息抜きしながら過ごしています。本作の3組の石橋家は、それぞれ全く別の場所に住んでいて最後まで交わることがないのですが、この子育てブログのみ例外で他2人の石橋家も読んでいるという設定。そのため、狂言回し的なポジションでもあります。
家事に育児に大変だし、カメラマンの夫(和田聰宏)もそうした家の事情を顧みることもないどころか陰で浮気しており、留美子もそれに気付きながら「そういうもの」としてスルーしてそれなりに上手くやっています。結婚前の仕事であるライター職への復帰も叶いそうなので、それなりの充実感すらある。しかし、そんな夫がリストラに遭ってから歯車が狂いだして…


大阪の石橋家の母である加奈は3家の中で一番若く、朝から夜まで遮二無二働くシングルマザー。裕福とは言えない下流家庭ながらも、コツコツと返済していた借金も返済寸前ですし、忙しい中でもしっかり息子のユウとの時間も取っているため、3家の中でも特に親子間の仲が良いように見受けられます。
真面目な加奈を見て育ったユウも年の割にしっかりしており、この家族に関しては一切問題なし……と思ったのですが学校でのある事件を通して、ユウが必要以上に無理をしてしまう母の悪癖を真似ている節が出てきます。そして、一度転んでしまうと何もかもが瓦解してしまう自転車操業故の脆さも相俟って…


静岡の石橋あすみは、エリート社員の夫(東出駿介)と、利発で礼儀正しいユウと共に何不自由のない広い家で暮らす謂わば上流家庭。嫁いできた手前、主体的な行動を控えている節はあるし、家柄を鼻にかける別邸住まいの義母や、どこか怪しげな友人など世界観が違うことに困惑してはいるものの、それすら贅沢な悩みという程に恵まれています。
目立った問題といえばユウの友人レオンくんがユウに苛められているというもの。心優しいユウがそんなことをするワケがない。事実ユウは泣きながら否定しますし、実際レオンとはその後も仲良く遊ぶ様子も見られる。小学生特有の一過性の問題と思って安心しますが、実はこの石橋家の問題が一番複雑怪奇でかなり気持ち悪いことになっています。
実はユウは軽度の知的障害を持つ光一という子をけしかけるという巧妙かつ卑劣な手段によって、レオンを実際に苛めており、そのことを指摘されると豹変。これまで人を操る実験をして遊んでいたと語り、その子供離れした怪物性を露わにするのです。

他の石橋家がどの家庭でもありそうな問題によって親子関係に軋みが生じる…という展開をしていただけに、この静岡の石橋家はユウ自体がサイコパスだったというかなり突飛な展開になっており度肝を抜かれます。
ただ、完全に飛躍しているのかというとそうではなく、ユウがサイコな人格を形成したのもやはり家庭の問題だと何となく察せられるようになっています。
あすみは一見、金持ちの下に嫁いで恵まれているかのように思いますが、実際には夫(の家庭)のおかげで幸せなのだから夫の為に尽くさなければ…という従属関係を結んでしまっているようにも見えます。事実、夫からは子育てに関して丸投げされ、毎朝彼を駅まで送る役割を果たすなど、どちらかというと便利な使用人くらいに思われている描写もちらほらある。

そんな父に従う母の姿を、高い感受性と知能で感じ取ってしまったユウは、自分も同じように人を操れるのではないか?という方向に考えてしまったのだと思います。ユウの観察眼が優れているのは、別邸の祖母が実は認知症だと彼だけが知っていたことからも察せられますね。身近にいる親族の異変にも気付けない父母ら大人への侮蔑と、認知症故に庭で用を足すようになっていた祖母への単純な嫌悪。これらの感情も合わさることで、一見サイコで凶悪なユウの人格が形成されてしまっていた。
この辺りを考察させるだけの要素をあちこちに配置していたのが巧みでしたね。ユウを演じる柴崎楓雅くんも『岸辺露伴は動かない』の一究の時といい自然な不気味さを表現するのが巧く、彼の演技も相俟って荒唐無稽なようで地に足つけた歪みになっていたと思います。


このように、上中下、それぞれの石橋家の多種多様な問題点を映していき、三者三様の不安や問題点を明らかにしていったのですが、どの家庭も「母親が子供を殺してしまった」という冒頭場面に繋ぐことが出来ることに気が付きます。
だからこそ、本作は一見「フーダニット(どの母親がユウを殺したか)」のミステリとして成り立つように思えますが、実際は僕がネタ晴らしされたように物語とは全く無関係の第四の石橋家が犯人という結末。あまりに突飛。あまりにポッと出。三文小説以下の駄作がやらかすトンデモどんでん返しです。ですが、本作で重要なのは結末部分ではなく、結末までミステリとして観てしまった認識の方にあります。
上中下の石橋家はいずれも「この母親がこの子供を殺すなんて有り得ないだろ」という認識からスタートしていたにも関わらず、家庭内の事情をつまびらかにされた結果、最終的に「この中の誰が子供を殺したんだろう?」という疑問に変化している。つまり、一見幸せそうなどの家庭にも、殺意に繋がるだけの鬱屈や問題は大なり小なりあるということに気付かされるワケなんですね。
そうなると第四の石橋家の存在と言うのも、実は突飛でもポッと出の存在でもない。誰もが殺人犯に成り得る、明日は我が身の象徴こそが、この掟破りの第四の存在なのです。
『明日の食卓』はミステリの皮を被って話を展開しており、ミステリと思うと盛大な肩透かしを食らうことになりますが、その結果普遍的な苦しみが浮かび上がり共感することができるのです。

物語としての複雑な構造だけでなく、母を演じた3女優の単純な演技合戦としても非常に見応えがあります。
まず、本作が久しぶりの劇場作品となったみぽりんが素のサバサバとした出来る女のメッキがどんどん剥がれていって、次第に思考停止に陥っていく電池の切れ具合が見事です。ブランクを感じないどっしりとした演技で、物語の屋台骨としても狂言回しとしてもしっかり機能していました。
3人の中で最年少の高畑充希は、あまり母親のイメージがないにも関わらずハマっていて巧い。関西弁の肝っ玉母ちゃんが板についていて、子供との距離が近く仲が良いサマに違和感がないのも良かったです。あと、ちゃんと芯が通っているようで、実は限界が近い感じも素の可憐さと演技の同居で自然に表れていましたね。
そして、尾野真千子。彼女は本作と同時期に公開されていた『茜色に焼かれて』で強く逞しく図太くエネルギッシュな肝っ玉母ちゃんを見事に演じ切っていたのですが、それと全く正反対の意志が弱く流されがちで抑圧されたか弱い母親を体現しているのが驚き。こうも役割が違う母親像を軽々と演じ分けてしまう辺りの達者ぶりが凄まじいです。
彼女達3人が一同に集うことが一切ないというのは、ちょっと惜しいような気もしますが、それぞれの鬱憤を噴き出していく様子を並行して眺めて評価していくってのも中々面白い体験でした。正に演技合戦。甲乙つけようにも「みんな巧い!」としか言いようがなくて困る。

そんな感じに非凡な三女優の手によって引き出されるのは「母親であるが故の苦しみと、それをどのように発散すれば良いのか」という平凡な、それでいて深刻な問題。どの家庭にでも当てはまると鮮やかに提示したからこそ、多くの人の心に考えていかなければならない課題を残すのです。
僕もこれまで途方もない苦しみや悩みもあっただろうに、ここまで問題なく育ててくれた母親に改めて感謝しなければな…って気持ちになりましたからね。まあ小説のネタバレをするのはマジでやめて欲しいとも同時に訴えてはいきますが。