backpacker

竜とそばかすの姫のbackpackerのレビュー・感想・評価

竜とそばかすの姫(2021年製作の映画)
3.0
【エンターテイメントがディズニファイされる近未来】

『竜とそばかすの姫』は、フランスの古典文学『美女と野獣』のディズニーアニメーション映画版『美女と野獣』に、多大なリスペクト&オマージュを捧げた、細田守監督の2021年現在の最新作です。

"インターネットの世界"をモチーフとしたアニメ映画を継続して作り続ける細田監督(過去には『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』『SUPERFLAT MONOGRAM』『サマーウォーズ』で電脳空間的世界観に挑戦)という認識ですが、いずれの作品でも、「この先こういう風になるだろうな」という先読みをしたガジェットやネット世界の使い方が見られました。
本作でも、そんな"ちょっと未来"の世界観が巧みに描かれており、その点の使いは流石手慣れたものですね。

本作を見た上での個人的感想や見解を以下に書き散らしますが、あくまで主観であり自分の感覚論ですので、お気に触ることもあるかと思いますが、悪しからず。

ーーーー【感想】ーーーー
①〈極度にディズニファイされていくエンタメ世界への恐怖〉
ネット世界"U"で主人公・すずのアバター("As"と言います)としてアクションする"謎の歌姫・ベル"は、ディズニー版『美女と野獣』への多大なオマージュを捧げた存在です。
ベルという名前が『美女と野獣』の主人公であることは言わずもがな。
ベルのビジュアルはかなりディズニー風に寄せており、映画もミュージカル調に纏めてようとしています(この点は後述)。
謎の存在"竜"の住む秘密の城はどう見ても『美女と野獣』の野獣の居城ですし、場内でのダンスシーンなんて完璧に『美女と野獣』のそれ。
「この後の展開、『美女と野獣』からどうやって距離を置くつもりなのか?」と不安になる程度にオマージュ過剰と思える内容でした。

そんなディズニー・リスペクトに溢れる本作ですが、鑑賞中、ある考えが頭をよぎり、一人勝手に戦慄していました。
その考えとは、本作の描く近未来が【ディズニーによって世界がディズニファイされた後に待ち受ける、創造物の表現の幅の制約】を描いているのでは?ということです。

「エンタメ界に覇を唱えんとするディズニー帝国の躍進は止まる事を知らず、消費文明社会の象徴的存在として、一層その存在感を増している現代。
いつの日か、エンタメの全領域を征服したディズニーの影響力により、全てのクリエイティビティにディズニー風の色・味付け・ミームが隠しきれない程溢れ出るようになるかもしれない。
そうなれば、新たに生み出されるエンタメは、何もかもがディズニファイされ、個人の想像力と創造力がディズニー的感性に沿った方向へと調整・誘導されていく。
即ち、想像力と創造力のディストピアが近づいてくるのではないか……」
そんな陰謀論的不安を惹起させ、その状況が刻一刻と近づいているのだということの警鐘が、本作から感じられた、ということです。

「何言ってんだこいつ?」ですよね。
大なり小なり、ディズニーのミームはそれと気づかない状態で基礎・地盤・土台になってしまっておりますので、今更何をではあります(日本の漫画・アニメ表現の根底には、手塚治虫の影響=ディズニーミームの影響があるわけです)。
ラルフ・バクシのアニメーションやドリームワークス・アニメーション(『シュレック』等)のような、反ディズニーイズム的挑戦があることも認識しています。

それでも、上記不安を抱かざるを得ないのは、今のディズニーが、さながらカエサルのローマ帝国並みに業界を併呑している実績があるためであり、この貪欲さと力強さに対する恐怖があるからです。

本作の多大なるディズニー・リスペクトは、上記のような事を意図していないであろうとは分かっていますが、そのうえで、近年のディズニー・パワーを思うと、斯様な邪推も成立するわけです。


②〈細田作品が曝け出す人間の二面性〉
細田作品は一貫して、人間の本質を曝け出し観客に見せつけてきますが、本作も過去作同様に、「善意と悪意」という人間の二面性を赤裸々に描きます。
しかも本作では、インターネットの世界と現実の世界のダブルで見せてくるため、より直接的で生々しい表現として発露。
まずネットでは、身バレの恐怖、ネット自警団、炎上や誹謗中傷、匿名を笠に着たバッシング……etc.
次に現実では、スクールカースト、個性の否定、リアルステータスによるマウント合戦、家庭環境の不幸……etc.
これらは、ネット利用におけるリテラシー教育の不足や、道徳規範・社会通念・人権認識等の教育の問題提起であり、他者への配慮・思いやりの心の欠如がもたらす残酷さの象徴です。
本作では、「それが現実なんだ」ということを何度も重ねて描写し、「現実はやり直せない。でもUならやり直せる。さあ、もうひとりのあなたを生きよう」というアナウンスが示す通り、仮想世界での生き直しによる自己実現を訴えます。

これは、悪魔の甘言や現実逃避とも取れますが、逃避先の仮想世界にはよりネイキッドな残酷さがあるため、「ユートピアへの誘い=逃避」と断言するのは早計。
現実と仮想の二層構造が持つ希望と絶望、どちらも見方・捉え方次第で変わることもあり、自分ではどうすることもできないこともあります。
それでも、一歩踏み出す、手を差し伸べる、手を掴む、そんな行動を取る事で、より良い世界へ変えていこうというメッセージが、胸に響きます。
ただし、そのメッセージの伝達手法(映画のストーリー)。過去作となんら変わらない内容ばかりだから、もうちょっとひねってくれませんか……。

細田作品は「人間悪いところもあるけど、良いところもあるんだわ」という形式で話が展開し、いつでも最後はハッピーエンド風の大団円です。
この流れがあるから安心して見ていられるという人も多いのかもしれません。
逆に言えば、どの作品も同じ主張・展開・帰結を繰り返しているに過ぎず、いいかげんワンパターンに飽きてきています。
この"繰り返し同じ内容を描き続ける"というのは、いわゆる映画作家と言われる人の共通点でもあり、アニメ映画という点では(若かりし細田監督が入社を切望したスタジオジブリの)宮崎駿監督がその筆頭に挙げられると思います。
宮崎アニメの影響も昔から感じられるのですが、監督の作家性として受け止めるにしても、変化がなさすぎてもはや食傷気味……。

③〈キャラクターの描写不足〉
ネットと現実のリンク感や関係性の描き方は、『サマーウォーズ』より遥かにこなれており、良くなっていたと思います。
ただ、登場人物の性格・役割・関係性等については、『サマーウォーズ』以降あまり深化した印象を受けず、些か描写不足に感じます。

主人公・すずは、過去のトラウマ(母が川で事故死したことを受け止められない)のため、内向的で自信のない性格になり、大好きだった歌が人前で歌えなくなりました。
この前提が最初に示されるため、すずの成長その一点において、鑑賞者は共感や感動を覚える事ができると思います。
(私は余りキャラクターへの共感等を覚えない身のため、客観的な想像にすぎませんが。)

また、『おおかみこどもの雨と雪』の主人公・花のような、聖母然としたキャラ(極度の疲弊を示す描写も多々あり十分人間臭いですが)から考えると、すずは人間の弱さ・苦悩・逃避心にギュッとフォーカスしたことで、等身大のリアリティが感じられる素晴らしいキャラクターとなったと思います。すずの精神的成長については、正直物足りないところもありましたが。
(細田監督の描く女性キャラは、宮崎駿監督のような"穢れ無き少女"ではない、人間らしい"汚さ"が描かれている認識ですので、個人的には好きです。)

しかし、すず以外のキャラクターに対する練り込みは、かなり浅い。意図的にそうしているのかもしれませんが、物語が始まる前に終わった、壮大な序章のような印象を受けます(最近では『アーヤと魔女』も同様)。

Uの世界は50億人のアバターがおり、細田作品史上最大の世界観。
その上で、すざのリアルでの高校生というコミュニティにおける人間関係の煩わしさ等も描かれるわけです。
正直、両者共に範囲が広大で、まともにぶつかっては処理しきれません。
そのため、陣取り合戦系ゲームの演出で描写する等しておりますが、その辺はだいぶわちゃわちゃした印象。

すずの身近な存在についてはどうでしょう?
すずの親友の毒舌メガネ女子・ヒロちゃん。
すずの幼馴染で、鈴が好きな少年・しのぶ君。
カヌー部のお気楽ニコニコ少年・かみしん。
学校一の美少女・ルカちゃん。
すずを見守る合唱隊のおばちゃん5人組。
妻亡き後、娘(すず)との付き合い方がぎこちなくなってしまった父。

彼らの掘り下げは、かなり甘い気がします。
ルカちゃんがかみしんに"ほの字"(死語)だとか、おばちゃん5人組の過去の恋愛(「年下の少年」というフラグ建てがなされます)とか、あると物語の厚みが増すのは間違いないんですが……彼らがいなくても、物語は成立するくらい、外野。

父と娘の関係性が、互いに腫れ物に触れるように描かれ、本作のエンディングを迎えたことで、やっと再構築に向けて歩み出せた、という演出は良いと思いますが、父のことがあまりにも語られないため、肉親なのに一番蚊帳の外!

上映時間120分超の中にギッシリと詰め込んだ割に、触れられない要素が多すぎたかなぁ。
この点は、過去作でも同様の状況になっていますし、逆に深堀りし過ぎない方が良かったりします(掘り下げすぎて余計なことになってる映画も多いですし)からなんとも言えないんですが……、キャラクター数を削減してもよかったんじゃないでしょうか。
登場人物をもう少し抑えて、コンパクトにした方が良いと思います(十分すぎるほどコンパクトですけどね)。

④〈素晴らしいアニメーション、でもアクションシーンは……?〉
相変わらずアニメーションが素晴らしいですね。たまに違和感を感じるシーンもありましたが、ともかくキャラクターがよく動く。
何気ない日常の所作を違和感なく描き、アニメを見ている事を忘れるくらいに滑らかに描写する、これぞ良アニメという自然体な感じがします。
一番驚いたのは、ルカちゃん初登場の、校舎の中庭?で吹奏楽部がステップを踏みながら演奏するシーン。
鑑賞中「ロトスコープしたのか?」と感じる程の素晴らしく細やかな動きでした。

一方、竜vsジャスティン&ジャスティス軍団に代表される、肉弾格闘系のアクションシーンは、お世辞にも良いとはいえません。ハッキリ言ってかなりお粗末。
あまりに見にくいため、アクションを見せる気がないということはわかります。
『サマーウォーズ』のキングカズマによる格闘は、格ゲー的演出として見せていたためそこまで気になりませんが、『バケモノの子』のアクションで感じたイマイチ感は、ここにきてより顕在化しています。
細田監督は、アクションシーンが得意ではないんだと思いますね。
(苦手ではないにしても、現代的アクションへのブラッシュアップがされていない印象。)


⑤〈その他〉
・『美女と野獣』に強く影響を受けている本作において、細田監督はミュージカルを作りたいと考えていたとのこと。残念ながらミュージカルにはなりませんでしたが、『君の名は。』から続くMV(ミュージックビデオ)映画の最先端の一つに名を連ねましたね。これが妥協か否かは私には判別がつきませんが、millennium paradeの作る個性的な楽曲は圧倒的なオリジナリティがあり、作品の尖った感性とベストマッチしていました。

・竜というキャラクターのオリジナルが、「作中一瞬流れた動画(流れるという意図があるのだから、回収されて当然なわけですが)に映る少年達の一人であった」という点は、かなりの唐突感と連続性の断絶が感じられます。
ネット世界が舞台であることを踏まえれば、もっと遠くの人物(海を越えた外国の誰か)とか、想像以上に身近な人物とかの方が、良かった気がします。
前者の場合、関係性を相当細やかに構築しないと描ききれないと思うので、150分超の枠がないと書ききれないでしょう。
ですので、無難かもしれませんが、後者の展開で良かったんじゃないかな?と思っております。

因みに私は、竜の中身は"すずの父"と思っていました。
理由としては、
⑴すずと父との関係性が本当に僅かにしか描写されず、関係性の修復を試みる展開も全くない→リカバリーを後半でするなら、竜=父としないと、明らかに尺不足になると考えたこと
⑵竜とすずの関係性が"愛"であるという形に発展しないこと(すずはリアルでしのぶ君が好きとハッキリ出しているため)
⑶『美女と野獣』オマージュを逆手に取り、若き男女の大恋愛ではなく、父と娘の家族愛の物語だった!という裏切りができること
があります。
残念ながら、この予想は裏切られましたが、「誰だこのガキンチョ?」という唐突感や、ちょっと無理がないかな?というクライマックスの展開がイマイチだなぁと思っているため、予想が的中してくれた方が良かったです。

・上述の「人間悪いところもあるけど、良いところもあるんだわ」というメッセージを投げかけるために、イイハナシダナーな映画を提供してくれる細田作品。
そんな細田作品は、毎度のことですが、雰囲気はコミカル。
しかし、不思議と笑えない。
この際呆れ笑いでも失笑でもなんでもいいんですが、本当に全く笑えるシーンがなく、ひたすら真顔でスクリーンを見るだけの時間。
致命的にギャグ不足で、凄く淡々としてるのが、最早特徴ですらありますが、それだと辛いものがあります……。
過去作を踏まえても、細田監督はユーモアセンスが明らかに低いと断言して良さそうですので、脚本執筆時にコメディ担当の人の手を借りるべきではないでしょうか(というより、脚本はまるごと他の人に書いてもらった方が……)。
ーーーーーーーーーーーー

以上、超長文になりましたが、私の感想です。
『2021年夏の大ヒットアニメ映画』として、間違いなくその名を刻んだ作品となりましたので、少しでもご興味ある方は、是非ご鑑賞ください。
backpacker

backpacker