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クライ・マッチョのタケオのレビュー・感想・評価

クライ・マッチョ(2021年製作の映画)
3.9
-安らぎをもたらすのは「男らしさ」ではなく「優しさ」だ『クライ・マッチョ』(21年)-

 1971年に劇作家のN・リチャード・ナッシュが執筆した同名小説を原作としたロード・ムービーである。監督は、『許されざる者』(92年)や『グラン・トリノ』(08年)などの作品で知られる巨匠クリント・イーストウッド。元ロデオスターの主人公が、メキシコで暮らす友人の息子をアメリカへ連れ帰ろうとする姿を優しいタッチで描き出していく。
 実はイーストウッドは1988年に既に本作の企画を持ちかけられていたが、『ダーティ・ハリー5』(88年)の制作を優先するために自ら降板。1991年にはロイ・シャイダー、2011年にはアーノルド・シュワルツェネッガー主演で企画が進んでいたものの、いずれも実現することはなかった。何度も企画頓挫の憂き目にあいながらも、約30年の時を経て再びイーストウッドの元へ戻り、そして遂に完成したのが本作『クライ・マッチョ』(21年)なのである。そして驚くべきことにそんな『クライ・マッチョ』は、まさに「今という時代だからこそ作られるべき作品」となっていた。長きに渡り「マッチョ」を体現し続けてきたイーストウッドは、常に「マッチョ」という呪縛からの解放を模索しており、もちろん本作とて全く例外ではない。ロデオという「男らしさ」の世界で落ちぶれた主人公は、新たな世代へその無益さを説こうとする。「男らしさの果てには何もない」と・・・まぁ、つまりやっていることは『グラン・トリノ』とほとんど同じである。しかし、それでも繰り返し「男らしさ」の無益さを説き続けることの大切さを、イーストウッドは誰よりも理解している。本作は「男らしさ」という呪縛から解き放たれることによってもたらされる「安らぎ」を真摯に描き出そうとしているが、それを提示することが「今という時代」にどれほど必要であるかは、改めて言うまでもないだろう。
 余分な贅肉など一切なしの、イーストウッドならではの「非マッチョ」とでもいうべきミニマルな映画づくりは本作でも健在だが、くわえてそれが「男らしさからの解放」というテーマそのものとも密接に結び付くことで、深い味わいを生んでいる。ややミニマルが極まりすぎて「葛藤」や「クライマックス」をはじめとした必要最低限のものまでいくつか失われている気もしなくはないが、そんな緩さもどこか心地よい。もっともそれは、イーストウッドが醸し出す円熟味あってこそのものであり、もし他の誰かが監督なり主演を務めていたら大事故になっていただろう。つまるところ本作は、イーストウッドだからこそ成立するファンタジー映画なのである。
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