むぅ

PASSING -白い黒人-のむぅのレビュー・感想・評価

PASSING -白い黒人-(2021年製作の映画)
4.1
「飴って言わない?」

ハロウィンの流れから好きなお菓子の話をしていた。
「ドロップが好き」
1人がそう言ったので、もう1人が突っ込んだ。
私はお煎餅が、と会話に混ぜてもらおうとしていたが"ドロップ"という言葉が私の心にポトリと一滴落ちて波紋が広がった。

"one-drop rule"
黒人の血が1滴でも混ざれば白人とみなされない

それを思い出したからだった。
最近『ファーストレディ』というドラマを観た。面白かった。
その中で最も心に響いたのはミシェル・オバマのパートだった。
バラク・オバマが大統領に就任したのは2009年。その様子は私も記憶にある、そしてこれで黒人差別はなくなったんだなと浅はかとしか言えない事を考えたのを今更後悔している。
"Black Lives Matter"
2013年高校生のトライヴォン・マーチンが自警団に射殺されたが犯人はすぐに釈放。この際アリシア・ガーサが呟いた言葉が#BLMの始まりとされている。
オバマ大統領就任より4年も後のこと。そして悲しい事に#BLMというタグは2022年の今でも溢れている。
私はその事を『ファーストレディ』のレビューに書けなかった。
そこからもう一度観た『大統領の執事の涙』もレビューは書きかけのまま。
ずっと引っかかっていた。

"差別"という文化・社会的構築を自分なりに学んでいた時に最も衝撃を受けた一つ"one-drop rule"という言葉が私の心に沈んでいく。
キレイな色のドロップではなく、鉛や石みたいに。

そして今作を思い出した。
クリップしてもうすぐ1年。
観ようと思った。


1920年代NY。
アフリカ系アメリカ人による初の文化運動「ハーレム・ルネサンス」が花開いた。黒人独自の文化やアイデンティティを追求し、ジャズ音楽や文学活動、ダンスパーティーや集会で街は活気付く。
その時代を生きる2人の黒人女性。2人はその肌の色の薄さから、白人に見られる事があった。
旧友の2人が出会い物語は始まる。アイリーンは黒人として、クレアは白人として生きていたから。


"PASSING"
パスする、通り抜ける、という意味だろう。
何から?
白人として生きることで、黒人が受けてきた差別から。
クレアが決めたPASSINGという選択、それはアイリーンにもクレア本人にも人生を突きつける。
黒人としての人生を。

私がアイリーンならクレアに再会したくない。自分のルーツに誇りを持っていたら複雑な感情がわくだろうし、軽蔑や嫌悪を感じてしまうかもしれない。現にアイリーンの表情にはそんな色が多々浮かぶ。
私がクレアならアイリーンに再会したくない。後ろめたさを感じる気がするし、必死にPASSINGしている生活が脅かされるかもしれないと思う気がする。
でも、クレアはアイリーンとの再会を喜んだ。その喜ぶ姿を観て、私は自分が日本で日本人として生きているから持つ人種差別への疎さを思った。
クレアがPASSINGする事で感じる恐怖や孤独を、彼女の言葉として聞くまで汲み取れなかった。
こちらは寄り添っている気持ちでいたとしても、相手の真意を汲み取ることが出来ていなかったら、それは寄り添っているとは言い難いのでは。

ここまで今この時代にモノクロで描く意味を痛感する映画は初めてかもしれない。
「白人に見えない」
「黒人に見えない」
そんな事は絶対言わせませんよ、という強い意思を感じる。
アイリーンはアイリーンの、クレアはクレアの人生を、観る人によってはかけてしまう"色眼鏡"を取り払うモノクロであるのだろうし、彼女たちが苦しんだ肌の色や人生をモノクロで鮮やかに描いていた。

カラフルなドロップ。
どんなフレーバーでもドロップ。
色んな味のお煎餅。
ソフトサラダだってハッピーターンだってお煎餅。
肌の色が違ったって。
そんな事を思った。

私はこの映画が好き。
そして衝撃的なラストシーンは忘れない。
むぅ

むぅ