平野レミゼラブル

エッシャー通りの赤いポストの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

4.5
【歪んだ停滞を突き破るは、挑戦によって迸る混沌の奔流】
『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』で超(ウルトラ)厄い方の園子温を直に浴びてしまってだいぶゲンナリしていたため、ぶっちゃけ本作にも超(ウルトラ)厄い危険信号が灯っていたのですが、試写会が折角当たったので観に行ってきました。
いや、心筋梗塞で生死の境を彷徨った園子温監督が回復期間に受けたワークショップで初心に戻り、51人の無名の役者と共に創り上げた……って製作秘話の時点で失礼ですが、だいぶ危なっかしさってのがあるじゃないですか。臨死体験を経ての覚醒って一番胡散臭いですし、何より無名の役者と共に好き勝手創り上げたとなると、タガが外れまくって自己満足的でシュールなだけの作品になっている予感しかしないっていうか…それにこっちを撮影してリハビリとした後に、製作を再開させたPoGがあの始末だったんでなおさらね……
下手すると146分という長時間を虚無に過ごす羽目に陥るかもなァ…とちょっと覚悟して臨んだのですが……


これだよ!!これ!!求めていたのはこういう狂気だよ、園監督!!!!
演出は奇を衒いすぎて滅茶苦茶だし、登場人物は次々出てくるのに話は見えてこない、リアリティラインや常識はしょっちゅう飛ぶし、最後は過剰演出が爆裂しすぎてうるさいレベルにキンキンしている。
だが、それがいい。シュール・意味不明・不条理・やりすぎが持ち味のいつもの厄い園子温監督作品でありながら、いつも以上に行き場を失った剥き出しの混沌の奔流を映像で余すことなくブチ撒けて、観るものを興奮させてくれます。
PoGにもこの混沌っぷりは発揮されてはいましたが、あちらとは混沌の質が全く別というか、養殖と天然の違いというか。やはり、PoGのように理性でカオスを創り上げるよりも、本作のように感情でカオスを撒き散らす方が園子温監督らしい面白さってのは出てくるように感じます。

全体的な混沌っぷりで誤魔化されていますが、実はストーリーラインはシンプルで、鬼才のカリスマ映画監督小林正が新作映画『仮面』に素人歓迎で演者を募り、そのオーディションに参加する人々や映画に携わる人々の奮闘を描く…ただそれだけです。
ただ、このオーディション内容に園子温監督のワークショップそのものが混ざっている辺りにメタ的な視点があります。3日間のワークショップを経て本格的な役決めを行い、その後撮影を行ったとのことですので、オーディション部分ではまだ誰が主役級を演じるかもわからないまま撮影している。つまり、熾烈な主役争いを繰り広げる役者の玉子たちの演技合戦の中に本物が混ざっているということで、ドラマにより生々しさを与えています。
本来、ワークショップで園子温監督が座る位置にも、作中の監督である小林を演じる山岡竜弘を座らせたってこともあって、誰も彼もがこのワークショップに食い入るように参加することになります。監督席に座っているにも関わらず、山岡さんもこの時点じゃ監督役内定ってワケでもなかったってんだから余計にプレッシャーだったことでしょう(笑)

そして、そんな通常以上の熱気を迸ることになった役者51人全員をカメラは余すことなく追っていく。本作は次々と視点が切り替わっていく群像劇の形式を取っており、オーディションに参加した印象深い人物それぞれが、何を背負いあるいは求めてこの場にいたのかを掘り下げつつ、時系列も前後して別視点から映し直していきます。そのため、重複する場面も多いんですが「さっき観たよ」って部分は巧みにカットしてくれるのでオーディションのテンポは頗る良いです。PoGでは冒頭の場面をしつこいくらいに見せていたのにな…なんで後の作品の方で出来てなかったのか……

各キャラクターも非常に濃ゆいというか、もはやシュール極まっていてワケがわからないんですが、どことなく笑えるユーモアを漂わせたメンバーばかりなので楽しい。
特に一番強烈で個人的にもお気に入りなのが「小林監督心中クラブ」の面々。もう、名称の時点でヤバイんですが、ワンピを始め衣装を白で統一して「丘を越え行こうよ~♪」と合唱しながら列になって行進してくる辺りマジモンの狂人集団です。
オーディション会場でも小林監督への愛を語りまくり、彼女らの部屋も小林監督の写真を壁一面に貼り付けるなどいかにもな連中なんですが、あくまで挙動がおかしいだけでオーディション会場前で騒いでる人に注意したり、道を阻む工事現場に文句は言うけど素直に迂回したりする(他の人は一度は強硬突破図ろうとする)ので、劇中では比較的常識人的立ち回りなギャップが笑えます。
オーディションに落ちても半狂乱になって部屋で奇声は上げるんだけど、別に『ミザリー』的なことは一切せず「今出来ることで小林様を応援しましょう!」ってことでエキストラとして参加する道を選ぶなど妙な理性が働いてるから本当に憎めないのです。エキストラとして参加してるクセに小林監督の写真をデカデカと掲げているのは明らかにおかしいですが、ちゃんとカメラに映らないところで掲げているから偉い。自分たちの作品のポスターをカメラ前でも掲げて横断していたレズビアンギャングとはここでも差がつきまくっている。マジで監督が死ぬつもりなら心中するのも厭わない覚悟も良く、何と言うか地に足つけつつ一貫して狂っているので観ていて妙に好きになってしまいます。
そんな狂人だけれど、ギリギリ背景を窺い知ることは出来る奴らがぽこじゃが湧いてきては、オーディションで爪痕をガリガリ遺していくので作品に飽きることがないのです。正しく狂人博覧会やっている感じ。

ただし、146分の尺の大半を使って描かれる51人の役者たちのほとんどはオーディションの時点で散り、エキストラに甘んじざるを得なくなります。そのため、無駄に濃いキャラの大半が夢半ばで終わるという中途半端な側面が目立ちます。
しかし、映画に出演する人物なんて上澄みも上澄みの一握り。どんなに強烈な生き様をしていようが、そこからあぶれる人もいるって方がリアルなのは決まっていることなのです。

オーディション会場前の工事現場が象徴的でして、これが映画に出ようとする人々を阻む障害としての役割を果たします。
工事現場を前にした人々は口々にちょっとでいいから通らせてほしいと言い突破しようと足掻きますが、作業員に止められやむなく迂回することになります。劇中ではそもそもオーディションに応募すること自体を諦める人も描かれますが、そういった人達はおそらく作業員に止められた場合、会場に行くことすら諦めてしまっていたのでしょう。
しかし、曲がりなりにも役者になると覚悟を決めた人達の想いは固く、迂回してでも辿り着くために自分の足で会場まで歩いていく。この挑戦への想いこそが何よりも熱いし、意義があることなのだと本作は伝えてくれるのです。
そして、行く手を阻む工事現場も作業員も何もかもを蹴散らして、軽々超えてしまう人もいる。それこそが、物語開始1時間でやっと現れる安子であり、彼女の生き様が何よりも鮮烈で物語を一気に突き進ませていくのです。

安子は非常に暴力的かつ破天荒。オーディション会場前で騒ぐ人々に対しても、緊張感が足りてないと吠え「人生常に緊張感を持て!緊張感に慣れたら更に緊張していけ!」と発破をかけます。
さらにいざオーディションとなると、自身の悲惨すぎる来歴をケラケラ笑いながら暴露しつつ、演技をしながら殴る蹴るの暴行を加えだすという無茶苦茶さ。しかし、工事現場を無理矢理突破した時のように、彼女のとにかく邪魔なものは跳ね除けて挑戦していくという意気込みは周囲に確かに伝播していくのです。
それは映画自体が諸事情で行き詰った時も同様で、映画同様に安子も人生のどん底に落ちる中で再び叫びます。「エキストラでいいんか!?人生のエキストラで!?」と。

作品内ではエキストラとしての誇りを説き、自分の仕事に満足している人もいることが描写されていますが、彼らだってエキストラの仕事の中でいかに目立ってやろうかと常に全力で取り組んでいるため「人生のエキストラ」には甘んじてはいないのです。仲間内には持ち上げられても、家族には白い目で見られ、「ダッセー」と嘲笑する人も現れる中で、彼らは最後までエキストラの現場の中で高らかにエキストラであることを歌い上げた。
そのことから、作中で繰り返される「エキストラ」の文言というのは要は役割のことではなく、自身が望む生き様とそれに対する挑戦を諦めてしまう心にあるのだということがわかります。

51人の役者の中で、主役級にまで登り詰めた人はわずかに過ぎず、大多数はエキストラに甘んじてラストの撮影に臨むことになります。そして、安子も思わぬ不条理や障壁にぶつかってエキストラに甘んじざるを得なくなる。しかし、それでもなお主役であり続けようとする挑戦と生き様は健在で、闘争心に火をつけて果敢に立ち向かっていくのです。
そして、安子の暴走はその場にいた51人の役者全員の心にも火を灯し、そこから演者たちが内に溜めた熱量が溢れ出していくのが圧巻も圧巻。これまで散々濃ゆく描いてきた51人の役者が思い思いに演じ、叫び、暴れ、走り回ることで発生する混沌の奔流が観る者の心にワケのわからない感動を引き起こします。
感化された監督(とそれを追う心中クラブ)の疾走場面では、近所の子供までつられて走るという形で予想外の「52人目の役者」まで登場しますが、これもまた映画を超えた熱量の伝播のようで良い効果を生んでいたように思います。


『エッシャー通りの赤いポスト』のタイトルのうち、「エッシャー通り」のエッシャーはオランダの騙し絵師マウリッツ・エッシャーのことを意味するのでしょう。彼の代表作品である『滝』や『相対性』は時空を歪ませ、同じ場所をぐるぐる絶えず循環させているのが特徴的です。本作でもエキストラの役割について「同じ場所をぐるぐる回り続ける」といったようなセリフがあったため、「エッシャー通り」の意味合いも同じようなものだと推測できます。即ち、停滞。同じことの繰り返しで意味がない。
対して「赤いポスト」は、オーディション参加者全員が応募する書類の投函口となっています。何はともあれ、赤いポストに投函しなければ何も始まらないワケで、これこそが挑戦の入り口と夢の始まり。「エッシャー通り」から抜け出す唯一の方法となります。
監督の疾走中にも赤いポストがそこかしこに配置されており、エッシャーの『滝』を思わせる細い水路にも不自然に置いてあったのが印象的。おそらくこれは監督の「停滞」の中で甘んじたいという気持ちと、そこから抜け出す「挑戦」する勇気を持ちたいという気持ちのせめぎ合いの現れだったのではないかと。

混沌の奔流の中で映画はクランクアップを迎えますが、安子は最後に立った舞台でやはり拳を突き上げ「エキストラでいいのか!?」と叫び突き進んでいくというのがまた何とも気持ち良いカーテンコール。
ここら辺の撮影は「ガチでこれやってるのか……」という衝撃もありましたが、それ以上に挑戦の伝道師と化した安子が現実にまで侵食していった効果を生んでおり、何とも痛快な熱さを引き出してくれます。エッシャーは時空を歪めてまで「停滞」を創り出しましたが、園子温監督も時空を歪めて我々に「挑戦」のメッセージを最後の最後に発信してくれた。
一度地獄を見た監督による福音ともあって、本当にクセは強いものの僕はその剥き身の熱量と狂気を全力で支持したいと思います。

超絶オススメ!!