むぅ

こちらあみ子のむぅのレビュー・感想・評価

こちらあみ子(2022年製作の映画)
4.0
「ダーツ上手いからいけそうっスけどね」

ナメてもらっては困る、私の運動神経を。ここ最近、寝ても覚めても大河ドラマだった私の「何時代なら自分が活躍出来ると思う?」という質問への人気NO.1の回答は江戸時代だった。
「旧石器時代は厳しい。1人じゃ肉も魚も獲れない気がするから、サポートしてもらわないと...」
と言ったら、そう返ってきた。
「知ってるか?ダーツの的っていうのは、動かないんだよ」

でも要はそういう事なんじゃないかな、と思うのだ。
何かと言うと、その時の社会が定義したものから外れてしまったり、人よりサポートを多く必要とする場合に[障がい]という言葉が用いられてきたのでは、と。
今作を観て、レビューを書くのを躊躇する自分がいる。
それは私の言葉で、誰かを傷つける可能性が高くなる気がするから。それだけ私は障がいへの知識も理解も浅い。


あみ子は"社会のルール"に沿うのは苦手。あみ子なりのルールや理由のある行動も、人には驚かれたり時に不快にさせてしまったりする。そんなあみ子の日々は。


「今村夏子の『ピクニック』を読んで何も感じない人」
そんなような事を、有村架純が菅田将暉に言っていた。『花束みたいな恋をした』で。そして確か同じ作者の今作の名前も上がった。
2年前に観たのに、未だ小説を読んでいない。読もう読もうと思ってるうちに"あみ子"は映画化され配信になった。

当たり前の事かもしれないが、"社会"における人との関わり方と"家族"のそれはこんなにも違うのかと改めて思った。
他人なら見過ごしたり受け入れたり出来ることが、家族だと苦しい事もあって、その逆もある。
あみ子の世界と共にそこを見せつけられたように思う。
あみ子の世界を描く上で、"音"が印象的だった。映画だからこその表現方法を最大限に発揮している。
個人的に堪えたのは、そこまであみ子の世界を見せつけられても
「私がまわりの大人だったら?」
「私があみ子の友達だったら?」
と考えはしても
「私があみ子の家族なら?」
「私があみ子なら?」
という考えに至るまでに距離があったから。


「今村夏子の『ピクニック』を読んで何も感じない人」
ちょっとネガティブに使われていたその台詞を思い出す。
何も感じていないように見えるだけの人かもしれないし、もしくは本当に何も感じていないのかもしれない。でも、自分が何も感じないものに対して、その人は痛みや喜びを感じるのかもしれない。
自分と同じように感じない人にネガティブな感情を持つのは危険な気がする。
そういうこと、忘れずにいたい。

「おばけなんてないさ」
あみ子が歌う歌の"おばけ"は"おばけ"のままでいてくれないと。
"おばけ"が他の言葉になったら、残酷で怖い。


「平安時代がいいんスか?」
「お歯黒に抵抗ある」
「なぜ貴族前提?」
「!」
いや、本当に私の"そういうとこ"が露呈した。
きっと"そういうとこ"からなのだ。
むぅ

むぅ