晴れない空の降らない雨

ナショナル・シアター・ライヴ「メディア」の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

-
 現代的な衣装や美術や演出に驚かされるNTLだが、紀元前のエルリピデス作『メディア』ではやや控え目。とはいえ、服装はワンピースやTシャツやスーツだし、子供部屋にはテレビがある。この『メディア』は現代に通じる内容なので、ギリシア悲劇の中ではやりやすい方だろう。
 かなりシンプルな内容で、登場人物は少なく、メディアの家だけを舞台にしている。この上演では、舞台を2階建て構造にし、上階で不義の夫イアソンの結婚式がダンスや無言劇で演じられつつ、1階では捨てられたメディアの独白や来訪者との会話が進行していく。
 結果的に本作は、近代的な心理劇を先取りしたかのような『メディア』の長所をうまく生かし、それなりに視覚的な面白みも付け加えて(コロス役の女性たちのダンスはどうかと思うが)、追い詰められた女=妻=母の姿を今に通用するかたちで描くことに成功している(原作にある神々への仰々しい言及はばっさりカット)。だが、劇の性質上メディアを演じる女優の力に成否の大半がかかっていたこともまた確かだろう。

 それにしても本作はかなり異色の作品である。母の子殺しというだけで珍しい題材だが、加えて近親殺人を犯した人間がまったく神々や人々に咎められず終幕することが凄まじいインパクトを与える※。しかも、本作では従来のギリシャ悲劇の主人公を散々な目に遭わせてきた運命は存在感がなく、終始計算高いメディアの策謀によって復讐劇が進行していく。
 エウリピデスが『メディア』を書いた理由とは何か。女性を蔑ろにする男性への警告だったのだろうか。本作に限らずエウリピデスの作品には女性差別的な言辞が散りばめられており(結構ひどいこと言っています)、どれだけの同情心を込めてエウリピデスが本作を書いたかは分からない。時代が下ってアリストファネスが書いた『女の平和』であれば意図は明らかなのだが。
※……他人に罰されないとはいえ彼女は死ぬまで苦しむだろうから、悲劇の主人公たちと比較しても十分なほどの罰を受けたとも言える。というか、それさえも、神から人への移行期にある作家エウリピデスの狙いのような気がする。