小

アリスとテレスのまぼろし工場の小のレビュー・感想・評価

3.3
エンドロールに流れる主題歌が中島みゆきの新曲『心音』ということで鑑賞。SF的な要素は舞台として割り切り、キャラクターの心情を味わう純文学的な作品かな、という印象。

作品のことについてググっていくうちに岡田麿里監督が不登校だったことを知り、ついでに岡田監督の自伝『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』も読み、作品について、自分なりにこういうことかな、と思うようになった。ということで、思ったことを書いてみる。

製鉄所の爆発事故により全ての出口を閉ざされ、時まで止まってしまった町。いつか元に戻れるように「何も変えてはいけない」と変化を禁じられ、鬱屈した日々を過ごす住民。この舞台設定は、コロナ禍のように説明されているけれど、自分的には引きこもり、不登校の方がしっくりくる。

非生産的で変化のない毎日。ずっと同じ場所にいて同じことをしていれば、慣れで匂いを感じにくくなり、痛みが伴うことも起きにくい。何も変えなければ世界が元に戻り「外の世界」に行けるようになるはずはなく、そうした日々はいつか“まぼろし”のように消えてしまう。

だから自ら「外の世界」に行けるよう努力せよ、とは本作は言わない。毎日同じように生きていても、ゆるやかに成長し、感情は変わっていく。

昔の哲学者は「こころは心臓」で、「希望は目覚めている者が見る夢」という。「未来」のない世界で、自分の中の「心音」が聞こえ「目覚めた」2人は恋という夢、誰かが一緒にいてくれて、自分を一番に思ってくれることに生への希望を託す。

しかし、引きこもり、不登校を前提に考えると、鬱屈した世界の均衡を崩すのが「止められない<恋する衝動>」ということにリアリティを感じられず、自分的にはあまりハマれなかった。

実は、未来のない鬱屈側が、未来のあるリア充側に一矢報いる話、のようにも感じている。リア充には様々な可能性(未来)があるけれど、俺たちだって恋できるんだぞ、みたいな。ラストはリア充側が「一本取られたな」と言っているようにも思えるし。

個人的にはこの方が納得感は強めなのだけれど、モテない系の自分ならではの屈折した願望的見方だろうなあ。いずれにしても作家性は好みなので、岡田作品は今後も要注目かしら。
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