かつきよ

ミラベルと魔法だらけの家のかつきよのネタバレレビュー・内容・結末

ミラベルと魔法だらけの家(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

予想してたよりも面白かったです!

・音楽  ★10
・映像  ★9
・雰囲気 ★8
・キャラ ★7
・設定  ★6
・ストーリ★5
・オチ  ★3

こんな感じ、、、。

●音楽

この作品で一番良かった!
少しだけ公式YouTubeの制作コメント動画とかも見ましたが、コロンビアにフォーカスしてこだわり抜いた楽曲はどれもそれぞれにコンセプトがあり、違った良さがありました。全然調べた訳ではないけど、調べれば調べるほど楽しめそうで、こう言った細やかさや奥深さはさすがディズニーブランド。

メキシコにフォーカスしたリメンバーミーに続き、地域性に着目した音作り、ミュージカルはどこか新鮮さもあって個人的にも好みでした。
コロンビアというと全く知識がなくて、今まで触れてきた記憶もないのですが、「異文化」だとか「知らない世界」だとか、「馴染みがないなぁ」という違和感ではなく、新鮮だけどいい雰囲気で、自然とノれる雰囲気・音楽だなぁと思わせてくれる。そう言った点はやはり、ディズニー映画の素晴らしさの一つかなと感じました!

コロンビア感満載のテーマ曲、Colombia, Mi Encantoは最も地域性を感じられ、音楽とともに踊り出しそうになるようなご機嫌なナンバーですが、シンガーのカルロスさんがコロンビアの代表的なアーティストという点も素敵だなと思いました。

主人公を中心に、各キャラクターが歌うミュージカル楽曲も粒揃い。
特に好きなのは

"The Family Madrigal"

"Waiting on a Miracle

の代表曲2曲と

"Surface Pressure"

"What Else Can I Do?"

の姉妹曲。
全部日本語版も聞きましたが、奇跡を夢見て(Waiting on a Miracle)以外は圧倒的に言語版の方が好きでした。
全体的に原語版の方が歌唱力が高いです。加えてディズニーソングにはよくあることですが、やはり文字数、発音数の関係で英語版の方が内容が濃く仕上がっているので、英語歌詞→日本語歌詞の順番で見るとスカスカで抜けまくっているように感じてしまいました。

マドリガル家の歌はキャラクター紹介ナンバー兼マドリガルのテーマ曲のような陽気な曲。テンポが良く、一曲の中で色々ワクワクできるリズミカルなナンバー。特に最後の早口ゾーンが好き
歌詞見ながら聴いても、英語版は歌詞が目で追えない😂

奇跡を夢みてはCMで聞いて最初にいいなと思った曲。ミラベルの焦がれる様な思いや願いがストレートに伝わる歌詞、アニメーション演出が素晴らしいです。スローモーションで楽しそうに微笑む家族の中で、一人だけ疎外感や孤独感を感じながら、切なそうにさ気持ちを歌い上げるミラベルちゃんがなんとも切ない。
切ないナンバーながら、暗すぎず、三拍子の特徴的なリズムが、個人的にはかなり刺さりました!

姉曲二つは、曲としてももちろん好きだけども、ストーリー的な展開もまた好きなポイント。

ルイーサの曲はポップでノリが良くて聞きやすいし、パワーキャラの内面の弱さを見せてくれるシーンでもあるのでギャップにグッときました。
あるあるな設定かもしれないけど、わりとストレートにびっくりしました!
ルイーサ、そんな重荷を背負ってたんか、、、
でも、ギフトがなくなってもルイーサはマッチョだったから、もともと筋肉質なのは変わりないのかな。筋トレが趣味なのだろうか、、、。ルイーサの部屋どんな風なのか設定とかあるのか気になるところ。バーベルだらけなのかな、、、笑

ワットエルスキャナイドゥはハモリが心地よい曲!伸びやかでクセのないナンバーだからこそ、中盤でだれそうなタイミングでも素直にノれるし、抱えた秘密、イザベラに関してはもっとびっくり!
マリアーノさんのこと、満更でもないと思ってたけど、家族のために仕方なくだったんだ、、、
高飛車で完璧主義のお姫様体質だと思ってたけど、周りに求められる自分を無意識に演じていた結果なだけであって、魔法の力も自分の理想の形とは違っていたんだなぁと。
個人的には変化前の力の方が好きなんだけども、ビジュアル的にも。ただ、同じ植物でも毒々しい色とか南国系、ジャングル系?の植物の方にトキメク女の子だった?っていう設定の方がキャラ的には好き。

●考察0.5「マリアーノさん」
完全に余談だけど、マリアーノさんってアルマおばあちゃんの旦那さんにちょっと似てる気がする。イザベラのことくっつけたかったの、自分の投影な気もする、、、

●考察1「ギフト=役割?」

アルマの能力が仮にギフト付与に関連していて、アルマのイメージがそのまま与えられるギフトに影響しているとするなら、アルマはルイーサには大黒柱たる力の象徴性、男性的…というか古い考えですが、もやは典型的な父的な役割を求めていて、イザベラには、これもまた古い考えですが、まんま「完璧な女性らしさ」を求めていたってことになるのでしょうか。
マリアーノとくっつけようとして家族繁栄を図るあたり、女性=繁栄の象徴=子供を産んで血筋を広げるもの、みたいな思考だったのかなぁと。それによってイザベラは自分の方向性を強制的に決められていたわけで、求められる自分を演じてしまっていた。ある意味敷かれたレールの上を走ることしかできない感じだったのかな。与えられた役割=ギフトで、つまりミラクルって、家族における役割の比喩な気もします。

●映像・世界観

歌ったり踊ったりする世界観と魔法の世界観は最高にマッチしてて見ていて気持ちが良かったです!
一番好きなカットは、CMにも多用されている、イザベラがクルクル回って花が咲き誇るカット。ザ・マドリガル・ファミリーの映像で出てくるシーンだけど、下手な環境で見ると画質がメタメタになる笑
エンコ殺しって名前つけられそうな高解像度の演出ですが、それだけに夥しい数の花が咲き誇る様は美しい!!
それぞれの歌唱シーンでもイメージ世界のアニメーションは派手でキャッチーで、より歌の世界に入り込めるような愉快なムービーが充てられていて◉
サーフェスプレッシャーなんか、多分曲だけだったらそんなに好きにならなかった気がします。プレッシャーに押しつぶされまいとするルイーサの動きの音ハメとか、渦中に飛び込む映像が好き。日本版は、発音のアクセントの関係が、この音ハメ感がグッと少なくなるので原語版の方が特に好きな曲。
ワットエルスキャナイドゥで、どんどん綺麗なドレスが極彩色に色づいていくの好き〜笑
ブルーノおじさんの部屋の感じも素敵。ちょっと怖くて、未知な感じで、寂しくて、、、
なんでブルーノおじさんの部屋はあんな寂しい砂の城みたいな感じなのだろうか。何か意味があるはずだと思うんだけど

●キャラクター
みんな好きだけど、登場人物が多い映画にありがちな、登場人物活かしきれてないやつ。
ドロレスとかは要所要所出てきて活躍したし存在感あったけど、返信能力の子は、結構良い能力だったのにも関わらずほぼ出番なしだし。
ペパおばさんもなんで天気??ほぼ嵐を呼ぶ能力だったし、、、アントニオの能力も特に活かされなかった気がする

●設定
設定厨の身からするとここら辺が一番モヤモヤしました!実は
上手く言葉で説明できる自信はないのですがわ魔法とかファンタジーとか、「それはそういうもの」って言うふうに受け入れなきゃいけないものの中でも、何かしらの必然性や理由や源、元ネタとか、イメージがあった方が、美しいと思うんですよ。例えばギフトは聖書に準えたものであるとか。でも、ミラベルからは特にそういったルーツとか、全てにおける「必然性」が感じられなかったです。
各家族の能力についてバラバラで必然性や理由がないのはまだわかるんですが、そもそもの魔法のルールや制限、性質が有耶無耶にされていてふわっとしか描写されていないのが一番モヤモヤしました。

恋人が死んでしまって、故郷も失い、ばらばらになってしまったアルマの心の叫びに応えて魔法が宿ったって言うのはまあわかったけど
その魔法のルーツって何?誰が与えたのか。なんで与えられたのか
世界で心の叫びを猛っている人はたくさんいるはず。なぜアルマが選ばれたのか
場所によるものなのか、血によるものなのか、、、
なぜ蝋燭?なんで蝋燭が突然現れたら魔法がもらえたって気づけたの?そう言う伝承があるの?蝋燭の火は永遠に消えないものなの?蝋燭なのに?蝋燭の火って消そうとするとどうなるの?風の日とか雨の日でも平気なの?

もう、そう言うのが気になって仕方ないのです私は、心が狂いそうなほどに

そして、アルマに与えられたギフトって何???
カシータを管理する力?ギフトを与える力?どちらもそれっぽくもあり、しかし完全にアルマから独立してシステムが完成しているようにも見える。このシステムがどの時期からどう言う経緯で確立したのかとか、そう言うのが気になって仕方がない。。。扉を与えるってどういうこと?カシータは魔法の力の権化なの?それとも魔法の力の一つなの?使役されている、あるいは末端に近い存在なのか、それとも、権限とか象徴的なものであって、魔法の源に近い存在なのかで考察が変わってくる。。。

●考察2「ミラベルのギフト」

一番を通り越して最高潮に解せないのがミラベルのギフトについて。
この映画の根本の設定であり、一番核にある要素な訳だけど、どうしてミラベルにギフトが与えられなかったのかと言う下り、作中ではなんの説明も解釈もされないんですよね。ヒントも実質なし、見れば分かるだろって言うような明確な表現もない……気がします。
「全部音楽でやってるから考察するところがない」って意見も見ましたけど、わたしには解読できなかったです。

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ミラベルのギフトについては、あったとして、じゃあなんだったのか、という考察が多数。無かったと言うのは少数な気がします。
「歌と踊りの世界に誘えることが彼女のギフト」
という意見も見ましたが、それはなんというかディズニーヒロインに共通する要素であるので、ちょっと違うんじゃないのかなぁと。
そもそも、普通にギフトが与えられているなら扉が出現し、部屋が与えられているはずなので、少なくとも他の家族と同列で扱っていいようなギフトは授かっていないんだと思います。

●考察3「ミラベルとカシータ」

ミラベルのギフトの考察要素として一番最初に思いつくのは、ミラベルと家の関係性。
まず、ミラベルはカシータと意思疎通が出来ているシーンが散見されます。普通に会話ができている。でも、ただの偶然か勘違いだったら申し訳ないのですが、ミラベル以外のメンバーがカシータと会話しているシーンって一つでもありましたか?
ミラベルは、皆もカシータと意思疎通できるものだと思っているから特別なことだとは思っていないだけで、実はカシータと意思疎通できるのはミラベルのだけなのかなぁとうっすら感じました。
しかし、カシータと話せること=ギフトだとすると、それはそれでそういうギフトとして部屋与えてくれればよかったじゃん、と思いますので、多分カシータと話せるのがミラベルだけだったとしても、それは後転的なギフトではなくて、先天的な素質だったのかなと思います。
その時点で、他の家族とは違った存在だったのでしょうか。

●考察4「カシータとの同期」

カシータの崩壊や魔法の蝋燭の輝きと、明らかにミラベルの心理状況がリンクしている。
偶然ではあり得ない、かなり意図的な演出だと感じました。
最初カシータにヒビが入るシーンは、アントニオに魔法が与えられて、晴れて家族の中でミラベルだけが逆特別認定されて孤独感と絶望を味わったタイミングでした。
魔法の蝋燭が輝きを取り戻したタイミングは、イザベラと和解して最高潮に心が弾んでいたタイミングでした。ミラベルの心理的な回復とともに魔法の力が戻ったことは火を見るよりもアキラ力ですよね
続くカシータ崩壊のシーンでは、祖母アルマに散々けちょんけちょんに言われて、自分が大切にしていたマドリガルとしての繋がりや思いやり、一族の一員であるというミラベルの最も大切な感情をぶち壊された瞬間でしたよね
もうまんますぎて、アルマ早く気づけ!ミラベルが落ち込むと家が崩壊するんだ!!!!!とやきもきしたレベル

これは明らかにミラベルとカシータのつながりを示す演出なのですが、でも最後までミラベルがカシータと同期してたのね〜すっきり!という正解提示は作中の誰もしてくれないし、それよりなによりカシータがそもそもどう言った存在なのかすら明示されていないので、仮説が真実であってミラベルとカシータがリンクしていた所でそれが何を意味しているのかはよくわからない。

例えばカシータがアルマの魔法だったとして、アルマからミラベルに能力が移ったとしたら……というのは皆んなが思ったことだと思います。実際ほぼそうなんでしょうけど、それではアルマの扉が存在していてミラベルの扉が存在しない理由がわからないんですよね。

●考察5「魔法の力とミラベル」

カシータだけでなく、魔法の力とミラベルの認識もかなり深くリンクしているように感じました。
たとえば、ルイーサが悩みを抱えていると知った瞬間ルイーサのギフトは弱まった。他の全員が弱まるならまだしも、ルイーサだけがこのタイミングで弱まるのは、アキラ力にミラベルのルイーサに対する認識が影響しているのでは!?
イザベラも同じく。綺麗な花の能力ではなく、より彼女の好みや資質に見合った能力に「変化」した。ミラベルがイザベラの本心に気づいて能力をより彼女にフィットした形に「変化」させたのでは?
能力を与えるということが、対象人物の資質を引き出す行為ではなく、与える側のイメージや意識が影響する行為なのだとしたら、

アルマが与えた能力↓
・ルイーサ=力、男性性
・イザベラ=美しさ、女性位

ミラベルが変化させた力↓
・ルイーサ=無理しないで、弱さもあっていいんだよ、抱え込みすぎないでというメッセージ?
・イザベラ=自分らしさ、個性

ということなのではないかなぁと。
イザベラと違ってルイーサは変化ではなく弱体化であり、それによって彼女自信また別ベクトルで悩んでいるので、説明が難しい上にすこしこじつけかなとも感じますが

ついでにいうなら、この説が正しいとすると、アントニオのギフト付与にアルマは関与していない事になり、ミラベルの認識がアントニオのギフトに直結していることになりますが、実際にミラベルは儀式の直前、アントニオに動物のぬいぐるみをプレゼントしていましたよね。
ミラベルはアントニオが動物が大好きだと知っていた(想像ですが、動物とお話ししたいと思っていたとか)→動物と仲良くなれる、話せるギフトが与えられた……という解釈もできなくないんですよね。実際のところどうなんだろうここらへんの考察は

●考察6「ミラベルの扉」

最後にミラベルが魔法のノブを家に差し込んだところ、ミラベルを中心に据えた家族のイラストが浮かび上がりました。
この扉についても解釈が難しい。

仮説①
これがミラベルの魔法の扉だった場合
ミラベルの魔法→家族を繋ぐ
        カシータの管理
        魔法を与える
ってことなのでしょうか。ギフトとしては地味というか、曖昧。仮にアルマから魔法の元締め的な立場を引き継いでるのだとしたら作中の展開は納得できるのですが、それではアルマに扉があってミラベルの扉がない理由がわからない。
アルマも玄関の扉イラストにされていたり、アルマの部屋のイラストがミラベルに変わったり、アルマも最初から扉を持っていなかったりしたら、辻褄が合うのですが……。

仮説②
ミラベルの居場所は「家」そのものだった
ギフト=家族としての役割、一員として個としての働きを重要視されるもの→各自の部屋が与えられる
と考えると、ミラベルの役割は家族を繋ぐものであり、特別な存在だったため、カシータ全体がミラベルの部屋のようなものだった……と解釈できないでもない。
でも、じゃあなんでアルマも同じ役割を担ってたはずなのに個室持ってんだとか、これも矛盾は生まれますよね
アルマは個としての役割もあったけど、ミラベルは家族としての存在に特化してた?迷走〜

仮説③
ただの肖像画的なやつで特にミラベルの扉というわけではない?家族全員を象徴する扉?
ミラベル個人の扉はやっぱりなかった?

うーん
どれも微妙にしっくりこないんですよね
極論、どうとでも解釈できるんですよ。ほとんどの要素が、でも、ただ一つミラベルに扉が与えられなかった理由だけがどう頑張っても理解できない。
どんなギフトだったとしても、とりあえずカシータ部屋与えてあげろよっていう。

●考察7

やっぱりミラベルはギフト与えてもらってなかったんじゃないかな。
アルマ→ミラベルへの魔法の権利移譲は自然に起こった世代交代であって、ギフトとは別の次元の話なんじゃなかろうか。
アルマとミラベルの共通点といえば、「家族」というつながりに対する(良くも悪くも)かなり強い執着ですよね。だからこそ、次世代、あるいはより強い家族への執着を持った、さらにあるいは歪んできたアルマに対してまっすぐで正しい家族への執着を持ったミラベルに、魔法の権利が移譲したのかなぁ。とか。

ギフトが与えられなかった解釈に関しては蓋通りできて、ミラベルのギフト付与に関してアルマの意識が鍵になっていると仮定すると、アルマはミラベルに対して、家族としての役割を何も期待してなかったってことになる。。。
けど、奇跡が与えられないミラベルにアルマもショックを受けてたし、それはあまりにも酷い解釈だ……

なので、推し案としては、ミラベルは自分がギフトを与える側になっていたわけだから、自分では自分のギフトを与えなきゃいけなかった?わけだけど、知らなかったからできなかったんじゃなかろうか。
どんなギフトなんだろう、ドキドキワクワク!って思ってて、こんなのがいいなとかまったく想像していなかったとか。
だから、家族を繋げて、これから家族として絆を確と強固にしたいとかなんとか意思を持ってノブをつけたラストでは魔法の扉が出現したのかなぁ。


魔法=家族の役割を前提に考察してるけど、そしたらペパおばさんの天候の能力とかドロレスの地獄耳とかはなんなんだって自分でも思います笑
そもそも考えすぎなのかな

●最後に

本当に色々楽しい作品ではあるけど、考察のしがいがありそうで、ただどんな考察をしても違和感が拭えなくてもやもやする、、、
そんな映画でした

雰囲気を楽しむのには十二分すぎる傑作なのですが、深く深くかなり細かいところまで作り込んであるはずなのに、その世界観を余すことなく感じて納得したり解釈したいと思うのはわがままですかね

設定資料集とかあるのですかね
制作陣がどういう意図で作ったのかかなり気になるストーリーラインや設定なので、何かご存知の方、考察がある方は教えていただけると嬉しいです!
かつきよ

かつきよ