むぅ

死刑にいたる病のむぅのレビュー・感想・評価

死刑にいたる病(2022年製作の映画)
3.6
「せ、先輩ぃ....!!」

学生時代、大人計画の芝居を観て下北で飲んでいた。
出演していたある役者をこき下ろす先輩の芝居談義、というかもはや罵詈雑言。
いつもなら痛快なのだが、その日はそうもいかなかった。
終演後に飲みに来た宮藤官九郎と阿部サダヲが後ろの席に座ったのだ。先輩からは死角である。
先輩のトークは辛味と切れ味を増すばかり、というかもはや誹謗中傷。
「(う、うしろに...)」
当時は何杯でも飲めたビールを、その言葉と共にひたすら飲み込むしかない私とお2人の目がバッチリ合った。
「(き、聞こえてる...)」
その言葉と共に枝豆を何度も飲み込んでいた私にお2人は微笑んだ。いや正確にはニヤついた、人差し指を唇に当てながら。
「(なんかもうすみません!)」
「(面白いから止めないで)」
後にも先にも初対面の方とあんなに明確に視線で会話が成立した経験はない。

超淡麗辛口度数高めな先輩の劇評をツマミにニヤつきながら飲むお2人。
その時はなんて心が広いの!と思ったが、後々あちらも同意見だったのではないかという疑惑が残った思い出深い酒席であった。
以来、阿部サダヲと宮藤官九郎はなんか信頼している。

そんな阿部サダヲがサイコパスらしいと聞いて。

客席前方ならドーランを塗っているにも関わらずわかる異様に悪い顔色や、たびたび死んだ魚といじられる瞳、特に遅刻にまつわる数々の逸話から個人的には[阿部サダヲが演じるサイコパス]に、いよっ!待ってました!と合いの手を入れたいし[阿部サダヲはサイコパス]でも、そうかと思う。
酷い言い草だが"当事者が演じましょう"というほどの納得感がある。


世間を震撼させた連続殺人犯から雅也に届いた1通の手紙。
死刑判決を受けた彼が営んでいたパン屋は、中学生だった雅也の憩いの場だった。
彼は真っ直ぐ雅也を見て言う。
「罪は認めるが最後の事件は僕じゃない。冤罪だと証明して欲しい」


観ながら思う。
ん、シリアルキラーか。
あ、サイコパスか。
お、ソシオパスもか。
ま、サイコキラーってことか。

このサイコキラー、例えるならば
・先物買い系
・味変大好きひつまぶし系
・期限切れウィルスバスター並のしつこい系
と言ったところだ。
そしてその3系統を支配欲が束ねているように見える。

「もう一度やり直せるなら捕まらない」
裁判でそう証言する彼の無表情の横にタイトルが入る。
ー死刑にいたる病ー
死にいたる病は"絶望"だという。
そう言った哲学者キルケゴールの名が雅也の大学の講義シーンで登場するので、それを意識したタイトルなのだと再確認する。
では死刑にいたる病とは何を指すのか。


雅也の地元は地方という設定。
そののどかな風景の中、オシャレ感のあるパン屋と、雅也の実家の昔のまま感の対比が印象的。
サイコキラーの生活の方が新しい空気が入り健全に時が流れているような印象さえ残す。

そして対比で言うなら、彼と雅也が面会するシーン。
ガラスに映った2人の顔が徐々に重なっていく事で雅也が彼にシンクロしているようにも、雅也の中から彼が出てくるようにも見える描写がある。
2人の顔が完全に混ざる一瞬があり、どちらの顔かわからなくなるその顔はなかなかにおぞましく見事だったと思う。

そしてそれが
1人にはプロローグ
1人にはエピローグ
になるのが恐ろしい。


大変に不本意なのだが、数々のサイコパス診断でサイコパス判定出がちな私の考察をコメントに。
むぅ

むぅ