むぅ

ある男のむぅのレビュー・感想・評価

ある男(2022年製作の映画)
4.2
「彼氏の実家にご挨拶に行って来ます♡」


「佐々木酒造のお酒はどこでも買えるよ?」
「蔵之介の残り香吸い込んできたらええ」
LINEが既読になると共にそう返ってきた。
友人たちの私への理解は深い。
大好きな俳優の1人である佐々木蔵之介のご実家の佐々木酒造にお酒を買いに行っただけだということを即座に理解してくれた。
引っ越したら行こうと心に決めていた場所が佐々木酒造と、もう一つ。
崇仁地区と呼ばれる被差別部落とされていたところだった。
どんな人であっても、それがご本人にとってどんな形、色合いを持っていても、誰しもにある"ルーツ"というもの。

ニヤニヤしながら佐々木酒造で1番人気と書かれている日本酒を買った私は『ある男』ならぬ"あの女"に過ぎないのだが。

今作も人のルーツにまつわる物語。

不慮の事故で亡くなってしまった夫。
ところが、疎遠になっていた夫の兄が遺影を見て「これは弟ではない」と言う。
それならば彼は一体誰だったのか。


幸せの定義は人それぞれだと思う。
ただやはり自身のルーツに何のためらいも持たずに済む環境に身を置ける事は恵まれている事である気がする、自分の中で葛藤や悩みを持つのは別として。
自身の生き方やアイデンティティに悩んだり迷ったりしても、そこに他人からの偏見やレッテルが入る事の理不尽さや苦しさよ。

よく飲み歩く身としては、会えば楽しい話や真剣な話をするし、もしかしたらその方の身近な人よりもその人の本音を知っているのに本名や連絡先を知らない友人が複数人いる。
「でも」と思った。
その人たちが私に話してくれた事を、私は"本音"だと受け取っていたけれど、違ったのかもしれないなと思った。
「でも、それでもいい」と思った。
あの日、一緒に過ごした時間は私にとって大切な時間だと思えるものだから。
そんなふうに思えるのは、長年住んでいた地を離れた事が一つのきっかけになっているような気がする。
そんな中、数年前まではお互いに時々バーで見かける"あの女"同士だった友人が会いに来てくれた。
22時に集合し3時まで飲み、翌日の12時から飲み始め途中休憩するものの17時から23時まで飲むという様子のおかしい事をした。
そんな狂気の中でも楽しく話し続けられるのは、飲酒量が同じだけでなく、気が合うだけでなく、やはりお互いの関係において"タブー"が少ないからなのかもしれない。
もしくはお互いの"タブー"が分かっているからなのかもしれない。
そこまで考えて、ふと思う。
その彼女の過去が、私が知っているものとは全く違うものだったとしても私の彼女への感情は変わらないと思うけれど、これがもし恋人や結婚相手だったとしたら。
やっぱりちょっと揺れるかもしれない。
その"揺れ"を見事に演じた安藤サクラはやはり凄い。

本人が触れられたくない"タブー"は、本人が決める事であって、他人が決めるものではない事。"幸せ"も然り。
そこだけは忘れないようにしなくては、と思った。


「この道10分くらい行ったとこが実家なの、佐々木蔵之介の」
「はいはい」
せっかく来てくれたのだからと一応いくつか観光する中、佐々木酒造の近くを通ったのでそう言ってみた。
「でもね、どこでも買えるの、佐々木酒造の日本酒」
「はいはい」
今考えると他人の実家を勝手に吹聴してはいけなかったのでは?と思ったりしつつ、友人を見送った翌日、二日酔いではないのに体調がイマイチだった事を思い出し、あの飲酒量はもう"タブー"なのだなと今更思った次第。
むぅ

むぅ