わたがし

オッペンハイマーのわたがしのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
in IMAXレーザーGT
 ちゃんと睡眠をとって挑んだのにところどころ眠りながら観た。よくわからない人たちがよくわからないことを喋っていて難しかった。でもこの内容とキャスティングで、R15指定で、3時間尺で平日の池袋サンシャインを満席にするノーランは本当にすごすぎる。もはやスピルバーグやキャメロン以上に無敵の作家になった感がある。
 オッペンハイマーの科学者としての倫理の揺れと、ロバートダウニーJrが絡んだスパイうんぬんのくだりが一回観ただけでは別の問題にしか見えず、なんでこんな脚色にしたんだろうとまず思ってしまう。
 最初と最後でストーリーを串刺しにしてるアインシュタインとオッペンハイマーのやりとりから「自己実現 or 他者実現」的なテーマを汲み取り、だからオッペンハイマーの伝記を映画でやる必要があるんだな、とそこはしっくりくるんだけど、だったら尚更ロバダウJrのターンは何?と思ってしまう。3時間もかけてこの構成で語って、何か最後にすっきり語り切ったような顔をしないでほしい。意味がわからなくてごめんなさい。何も語らずにただ複雑さを複雑なまま楽しませようとするテネットのほうがまだ誠実に感じる。
 今回観ててとても思ったのが、ノーランの映画はいつも「何か非常に難解な事柄が発生しているな」「自分の知識不足だな」と思うようなシーンと「めっちゃわかる!これね!」と明快すぎるぐらいわかるシーンがごちゃごちゃに混ざって成り立っている。その2種のシーンを交互に観ることによって、編集の力も相まって何だか「今、自分は非常に難解なことを明快に理解できているのではないか」という気分になってくる。これがノーラン映画の魔法というかトリックというか、読めもしない専門書や分厚い海外小説を買うだけで何かちょっと賢くなったような気がするあの感じととても似ていると思う。
『インターステラー』は難解さが徐々に「そういう難解なことも難解に描かなきゃいけないぐらい愛はすごいんだよ」という着地点があったけど、この映画は着地点が「結局オッペンハイマーがどういう人間なのかわからない」でしかなかった。そして、そのわからなさを楽しむにしては作り手が何か語り切った感を出しすぎている。頼むからもうちょっとわかり易く説明してほしい。
 でも最初の10分ぐらいはちょっと泣きそうになるぐらい好きだった。メロドラマ抜きの『博士と彼女のセオリー』みたいで良い。観念的に科学の闇に取り込まれていく主人公描写としても「今からこういう映画が始まります」の煽りとしてもめちゃくちゃワクワクする。特に特撮映像は実写撮影らしいのでちゃんと35ミリで観返したいけど、この映画をまた3時間暗闇で拘束されながら観るのは嫌。
 1.43:1サイズの使い方も以前のノーラン作品や同じホイテマの『NOPE』と比べると微妙だった。シーンの情感の波に呼応するように通常ショットとIMAXショットがとっかえひっかえされるのが素晴らしいのに、今回は現場の都合的な(この画いいじゃん!IMAXで撮っとこ!みたいな)取捨選択を感じる。会話のシーンの数秒のファーストショットだけIMAXで空間提示すれば自動的に観客を会話に引き込めるわけじゃない。もちろん素晴らしい使い方の瞬間もあったし、IMAXフィルムカメラで撮影された映像自体の素晴らしさは疑いようもない。でも、なんてことない会話の一番盛り上がることろでIMAXカメラで強烈な感情や対立を提示する、そういう「物語のトーンに組み込まれたIMAX映像」をもっと観たかった。これじゃあ『ダークナイト』ぐらいのIMAX盛り上がりしかない。ノーランにはIMAX伝道者としてもっともっとそこを突き詰めてほしい。今回は予算の関係もあったのかもしれないけど。
 そして音はやっぱり素晴らしい。誰が何と言おうとIMAXの『オッペンハイマー』と家で観るそれは全く別物の映画。シアターマウントうんぬんとか映画の観方は人それぞれとか、マジでそういう問題ではなく、本当に「映画館で映画を観る意味」がこの3時間にはやっぱり絶対あったなと強く強く思った。
 そういう完全なる劇場映画を、わざわざこの題材で、当然のように倫理とか常識を越えたところでオッペンハイマーという人間を描こうとする企画そのもの及びノーランはやっぱり美しい。美しすぎる。拝金主義ハリウッドを潜り抜けて、ユニバーサルにエグい条件突き付けて自分で脚本書いて。その事実が美しい。あまり好きじゃない映画でした。
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