MASAYA

ゴッドファーザーのMASAYAのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザー(1972年製作の映画)
5.0
【1000本記念】

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人生には耐えねばならない侮辱を受ける場合があるが、目をしっかり開いてさえいれば、いつの日か、最も弱き者が最も強き者に復讐することができる。

by ドン・ヴィトー・コルレオーネ
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本格的にレビューをし始めてから100本ごとに力を入れたものを書いてきましたが、遂に四桁という大台に突入するので、とりわけ思い入れのある本作を選んでみました。

ゴッドファーザーの哲学から人生を学んだといっても過言ではないくらい影響を受け、初めて観たとき以来オールタイム・ベストに君臨し続ける本作なのですが登場人物が非常に多いので、前半を敵対関係を分かりやすくまとめたキャラクターの紹介、後半を原作や映画で登場する名言とともにレビューといった構成でいきたいと思います。

初見時は名前と顔を一致させることを意識し、観賞後はファミリーツリーや相関図を見て復習するのをオススメします。


《登場人物》

〈コルレオーネファミリー〉
ドン・ヴィトー・コルレオーネ:ゴッドファーザー
ソニー・コルレオーネ:長男
フレドー・コルレオーネ:次男
マイケル・コルレオーネ:三男
コニー・コルレオーネ:末娘
トム・ハーゲン:コルレオーネファミリーのコンシリエーレ(相談役)兼養子、弁護士
ジェンコ・アッバンダンド:前顧問役

カルロ・リッツィ:コニーの夫
ケイ・アダムス:マイケルの恋人
アポロニア:マイケルのシチリアでの妻

テッシオ:幹部
クレメンツァ:同上

ポーリー・ガットー:クレメンツァの部下、ドンの専属運転手
ウィリー・チッチ:クレメンツァの部下、ボディガード兼殺し屋
ロッコ・ランポーネ:クレメンツァの次期右腕

ルカ・ブラージ:コルレオーネ・ファミリーの殺し屋
アルベルト・ネリ:マイケル直属のボディーガード兼殺し屋

ジョニー・フォンテーン:ドンのゴッドサン、元人気歌手

ドン・トマシーノ:シシリーのマフィアのドン
カロ:マイケルのシチリアでのボディーガード
ファブリツィオ:同上


〈敵対するマフィア〉
バージル・ソロッツォ:麻薬密売人のギャング
フィリップ・タッタリア:5大ファミリーの一角
マーク・マクルスキー:ニューヨーク市警察の警部

モー・グリーン:ラスベガスでカジノを経営するギャング

ドン・バルジーニ:5大ファミリーの中でコルレオーネ・ファミリーの次に力を持つバルジーニ・ファミリーのドン


《レビュー》

『アメリカはいい国です』
アメリゴ・ボナセーラのこの一言で始まる本作。
頼みをしに来ているはずなのに友人の証を示さない横柄な態度。それにも関わらず表情一つ変えずに話を聞き、冷ややかで痛烈な皮肉を言いながらも最終的には助けてやるというドン・コルレオーネという人物の器の大きさ。
何という美しいオープニングなのでしょうか。ボナセーラにフォーカスしながら後退していくカメラ、ドンの肩越しに写されるその男はまるで神父に告白に来る信者そのものです。
いい国であるはずのアメリカでは必ずしも正義の鉄槌が下らないことを示す一方で、この時代におけるマフィアが第二の政府であることをメタ的に表現するという、観ている者に当時の社会的実情を瞬時に把握させる秀逸な幕開けと言えるでしょう。
友情とは家族みたいなもので、国家よりも大切なものだそうです。
ドンの寛大さに涙さえ出そうにります。


『決して怒ってはいかん。また決して驚いてもいかん。道理でもって相手を説得することだ』
これはビジネスにおいて将来役立ちそうな教訓的名言ですね。
ドン曰く、相手に理性を備えた人間である限り、仕事の問題にはどこかで解決の糸口が見つかるものだそうです。
けれども長男のソニーというのは短気且つ暴力で解決するようなタイプで、幼い頃からファミリーの仕事に就きたいと思ってきた本人の意思とは裏腹にトップに立つ人間には相応しくなかったという訳です。
現実は皮肉的で残酷なものですね。

『わしは迷信深い。万一息子が事故に遭ったり警官に撃たれたり、あるいは首を吊ったり雷にうたれても、わしはここの誰かを憎む。そのときは絶対に許さん』
このドンの台詞は恐らく一番迫力と威厳があったように感じます。
まるで“鉄のカーテン演説”だったと後に語り継がれた彼の一連のスピーチは十分に理にかなっており、絶対的影響力を持っていたと言えるでしょう。ドンの人間性というものが全面に描き出されていてお気に入りのシーンです。
本作の主人公はマイケルですが、どうしてもドン・コルレオーネが一番好きです。
それというのも一重にマーロン・ブランドの快演のおかげでしょう。いくらパラマウントからの反対があろうとも、マーロン・ブランドは原作者マリオ・プーゾと監督フランシス・フォード・コッポラの推薦をもらい、自身でメイクアップしたテストフィルムを持ち込むという意気込みを見せて見事に役を勝ち取ったほどの気概は流石としか表現しようがないです。
口に綿を入れて顎を強調したような顔立ち、異様に似合うタキシード、ゴッドファーザーになりきっているマーロン・ブランドの名演を『地獄の黙示録』以上に堪能できると断言できます。


『慈悲とは一族にのみ期待できるものであり、一族とは社会よりも忠実で信用できるものだ』
そもそも“ゴッドファーザー”というのはカトリックでの洗礼時の代父(名付け親)を意味します。けれども2人の父親が必要だと言われるほどイタリアで生きていくのは大変なことでした。そこでゴッドファーザーが第二の父母として後見人的な役割を果たしたという訳です。
つまりただの名付け親にとどまらず、親族の一人として生涯に渡って関わりが続いていたのです。
そしてもし実の父母に何かがあれば、必ずゴッドファーザーが生活の面倒は見てくれる仕組みになっています。
ですから一族(ファミリー)の繋がりというのは決して切れない固い絆で結ばれているのです。


『裏切り者には死を』
ファミリーとは結び付きが強く、たとえ自分の身に不幸があったとしてもその家族の生活は保証されているという構成員思いな反面、上意下達の絶対的な組織であるがゆえに、鉄の掟“オメルタ”を破った者は決して許されることはありません。
罰が与えられるなどという中途半端な段階はなく待ち受けているのは“死”のみです。
けれどもこの厳しい世界において揺るがない信念が必要不可欠です。徹底したその姿には胸打たれるものがあります。
また本作には含まれてませんが、PPART Ⅱの未収録シーンと原作にはしっかりとファブリツィオへの復讐が描かれています。どうなったの?気になった人も多いと思いますが、マイケルの意思によってしっかりと遂げられているので安心してください。


『決して断れない申し出をする』
ドン・コルレオーネとマイケルが度々口にする台詞ですが、おそらく本作で最も有名な台詞でしょう。
これの台詞にはどんな困難があったとしても自分の思い通りにするというとてつもなく強い意思が存在し、それと同時に何がなんでも後には引き返さないとう決意が含まれています。
つまり申し出という名の事実上は宣言であると言えるでしょう。
実際ドンもマイケルも度重なる不可能を全て可能なものに変えてきました。その達成力と、そこに導くまでの統率力、指導力には恐れ入ります。
けれども
・交渉時に腕力沙汰が悪感情を残すような時には決して腕力に訴えたりしない。
・出来る限り相手に「ノー」と言わないこと。言うとしてもそれが「イエス」のように聞こえるようにする。さもなければ相手に「ノー」と言わせる。
これらの交渉術は見事ですし、目を見張るものがあります。


『人生はこんなにも美しい』
原作でドンが生前残した最後の言葉です。幼くして家族を失い、ほとんど身寄りもないまま12歳で一人渡米。そこから1代で巨額の富と権力を手に入れたヴィトー・コルレオーネ。不幸も数多くありましたが、総じて彼の人生は素晴らしいものであったと言えるのでないでしょうか。映画ではこの台詞は登場しませんし、誰にも看取られず死を迎えるわけですが、家族に恵まれ、多くの人に愛され、そして大好きだった家庭菜園の世話をしながら最期を迎えることができたのはなんとも平和的だと思います。
葬儀での終わりが見えないほどの長蛇の列が彼の死をどれだけ多くの人々が悼んだか、彼がどれほど影響力のある偉大な人物であったかということを物語っています。


『これは戦争じゃないビジネスだ(It's not personal, It's just business)』
この台詞はゴッドファーザー3部作において色んな人物によって発せられますが、とにかくマフィアの世界では私情を挟んではいけないことが示唆されています。
人が殺されたり、その復讐があったとしても、それは決して私利私欲から生まれた行動ではなく、ファミリーの利益を考えた上での最も合理的な決断に過ぎないという訳です。
さて本作では様々なビジネス(殺し)が描かれていますが、レストランでの2人の殺害と、5大ファミリーとモー・グリーンの暗殺シーンがとても好きです。どちらも非常に印象的なのですが、どちらかと言えば後者がより衝撃的でした。
1年以上もかけた完璧な計画をファミリーの幹部にさえ気づかれずに鮮やか且つ能率的に始末する仕事っぷりは見事過ぎます。
洗礼式の「退けます」の台詞と交互に一人一人暗殺していく様はもはや芸術的ですらあります。
個人的には175分という長尺のなかで絶頂を極めたシーンだと思います。
映画では詳しく描かれていませんが、アルベルト・ネリの件も含めてあの一瞬にカタルシスを感じずにはいられません。


『人間にはそれぞれ定まった運命があるのだ』
自らの人生は、自らの足で歩んでいかなければならないことを身をもって体験したドンならではの哲学です。迷信深いのもここからきているのでしょう。いくら力のあるドンでもこの運命には逆らえない、むしろ従うべきであるという考えがここから読み取れます。
本作で運命と最も深くかかわり合いがあるのが言うまでもなく、マイケル・コルレオーネであるわけです。
将来は数学の教師になり、家族との密接な絆は切らなければならないはずだったマイケル、ファミリーで唯一の堅気の人間になると最初は固く心に決めていました。けれども自分の意思に反してファミリーの仕事に巻き込まれた際に、あくまでも“一般人”として家族を助けるしかなかった自分に苛立ちを覚えていたのです。激しい怒りと敵に対する冷たい憎しみの感情を胸に、たとえそれが取り返しのつかない方向に進路をとったとしても父親を愛し、尊敬していたからこそファミリーの仕事に加わることを選んだわけです。
気づけばドンと同じ尊敬、畏怖の念を人々の心に呼び覚ます存在になり、終盤のシーンではかつてのドンのように裏切り者に自分から罪を認めさせようとするまで立派な成長を遂げるのです。
理想主義と現実の相剋。まさに奇妙な“運命の子”と表現するのに相応しいでしょう。本作はこの視点から観ると、時代とアメリカが生み出した怪物の悲劇の物語に仕上がってると言えます。


『一度だけだ、今回一度だけ質問を許してやろう』
マイケルはケイと結婚する際に、「仕事に関することだけは決して質問してはいけない」という条件を言い渡しました。ママ・コルレオーネはこのことを十分に理解し、子供に対してはもちろん、トムにとってもファミリーのメンバーにとっても良き母であり続けました。つまり家事や子守りなどの所謂女の仕事に専念したということです。だからこそドンとの夫婦生活も円満に長く続いたのです。けれどもケイはラストのシーンでマイケルに尋ねてしまいました。しつこく聞いてくるケイに対してマイケルはうんざりしながらも答えてあげます、「No」と。
その言葉に安心したものの1人部屋を出たケイはクレメンツァ達がまるでローマの彫像のように構える
マイケルに向かって「“ドン”・コルレオーネ」と敬意を表しながら手に接吻をし、忠誠を誓う姿を見て彼の嘘に気づく訳です。
人生の伴侶として普通の生活を送ることはもう叶わないであろうことを察したケイに追い討ちをかけるようにアル・ネリによってその扉が閉められます。
扉の向こうはたとえ妻といえども女性には決して立ち入ることの許されない男だけのマフィアの世界。
こうして何とも秀麗に壮大な歴史的叙事詩に幕が下ろされるのです。


~終わりに~

一見単なるマフィア映画に思える本作ですが、実際は人間ドラマを中心に描いた良質なホーム・ムービーです。
しかも原作を説明せずに再現しているところが上手いです。ジェンコという看板がチラッと写ったり、オリーブオイル瓶、マイケルが鼻水が止まらないため常にハンカチを持ち歩く様など挙げれば切りがないほどに忠実に再現しています。
そしてなんといっても人生訓とも言える本作から“友情”、“謙虚さ”、“敬意”など生きていく上で必要なものを痛いほどに学ぶことができました。

ドン・コルレオーネの帝王学に魅せられ、暴力と家族愛というアンビバレンスを体現させた本作は正に映画史に残る傑作に違いありません。
家族を大切にするイタリア系のフランシス・フォード・コッポラ監督だからこそなし得ることの出来た至高の作品なのではないでしょうか。

あまりにも好きな作品のため、書き出したら止まらなくこれほどの長文になってしまいました。
ここまで読んでくださった方々、深くお礼申し上げます。


2016.1.10 新文芸坐
2019.6.1 TOHOシネマズ新宿
MASAYA

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