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CLOSE/クロースの小のネタバレレビュー・内容・結末

CLOSE/クロース(2022年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

いい映画って、人々の興味を引き付けつつ、人間、社会の本質をきちんと描いている気がするけれど、本作もそうした1本ではないかと。

誰しもが思い当たるフシのある思春期の変化をとても切なく描いているけれど、その切なさの根本が、大人になること、人間であること、そして社会であることを示しているような気がして、考えさせられた。

映画『バービー』のグレタ・ガーウィグ監督がフィルマガ掲載のインタビューで次のように語っているけど、本作はグレタ監督の興味あるポイント「そのとき人はどうするのか」も描かれているように思う。

<そもそも人がより自分らしくなる、人間らしくなることに、私はとても興味があるんです。人間は生きている中で、「これは自分のアイデンティティに欠かせない!」と信じていたことを、何度も自分で取り除いていく生き物だと思っています。10代、20代~80代と、人生のいろいろなタイミングでずっと起きることじゃないでしょうか。

私は、そうした自分が築いたアイデンティティと自分自身がぶつかってしまう瞬間に強いものがあるような気がして、とても興味があるんです。その瞬間、自分の人生の底が抜けたような感じがするわけです。そのとき人はどうするのか、ということに興味があります。>
(https://filmaga.filmarks.com/articles/259000/)

家族同然に育ってきたレオとレミだけれど、中学生になると他人の男同士がじゃれ合うように親密であることは男らしくないという社会の“常識”にさらされ、レオはレミを突き放す。

しかし、常識に囚われないレミは<それまでの愛情あふれる関係が突然絶たれる>という“暴力”に耐えきれず、自ら命を絶ってしまう。
(https://www.gqjapan.jp/article/20230710-close-movie-lukas-dhont-interview)

<自分が築いたアイデンティティと自分自身がぶつかってしま>ったレオは、普段通り学校に行き、向いているとは思えないアイスホッケーに打ち込むなど、レミと培ってきたアイデンティを取り除こうとしているように振る舞う。大人になるということ、人間であるということはそういうものであるかのように。

一方でレオは、レミの自殺の原因が自分にあることで良心の呵責に苛まれている。無垢な少年には耐え難く、悩んだ末にレミの母親に告白する。一瞬レオに怒りをぶつけたレミ母親だったが、レオを抱きしめ、赦したかに思えた。

ラストシーン、レオがレミの家に行くともぬけの殻。レオが冒頭のように花畑を駆けた後、振り返り、こちらをじっと見る。観客である私はレオに突きつけられたように感じる、「お前も失ってきただろう」と。

レオがレミを突き放した気持ちは、“常識”に毒されている自分にとって肯定できるものである。そして自分も「確かに失ってきた」と思い、人間は失って大人になっていくのだ、と思う。

しかし本当にそうなのか。そうだとしてもそれでいいのか。ルーカス・ドン監督は次のように語っている。

<興味深いことですが、 男らしさと親密さは滅多に両立しないようです。 私たちは男らしさと (男性の) 力強さを混同してしまいがちで、少なくとも最近では、男性を鎧のような存在として捉えることに慣れてしまっています。 抱きしめられる必要もなければ、女性と同じように親密さを求めることもない、孤高の人というイメージです。でも、そのナラティブは間違っていると思うんです。13歳の少年たちが話すのを聞いていると、彼らは友だちをとても大切 に思っていて、お互いがいなければおかしくなってしまうほどの存在であることや、 友だち関係が実はとてもフィジカルなものであることがわかります。

つまり、これは家父長制の中で頻繁に示される、ある種の社会規範との対立であり、あのような優しさを映し出したいという願望でもあります。また、それを喪失すること、あるいは解体することが、私たちにとって何を意味するか、より幅広い視点で示すためのものでもありました。 私は2人の幼い少年がベッドをシェアする姿や、それが彼らにとって、ごく自然な状態であることを描きたかったんです。ある種の外部からの眼差しが、片方の少年の考え方に影響を与えるまで は。それによって、あんなにも自然に感じられていたことが、急にぎこちなくなってしまうのです。>
(https://www.neol.jp/movie-2/122671/)

映画『サーミの血』と同様に、大切にすべきは“常識”に影響を受ける前の感性や作法であるのかもしれない。しかしそれを全面に押し出すのは、孤立する覚悟が必要なのかもしれない。

だから社会学者の宮台真司先生は「なりすませ」という。常識に適合したフリをしながら、もともとの感性や作法を大切にせよという。そして「頑張れば災難は避けられるというものではない。でたらめや理不尽は受け入れて前に進め」という。

常識と対立する自分の感性を肯定し、自分の考えが変化したことが人の死の原因になるという“理不尽”を受け入れる、それが次の世代の常識を変え、常識の犠牲者を減らすことにつながるのかもしれない。
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