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誕生日
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『誕生日』に投稿された感想・評価

林由美香が海面にふわふわと浮かぶ冒頭。「セリフを自分のものにして話すことが出来る役者」みたいなことを切通理作が書いていたが、確かにその通り。
客が入らない佐藤寿保という名を捨て変名で撮っている。ロマンチシズムとセンチメンタルしか画面に映らないのはそのせいか。山本直樹『ありがとう』より早い家族解散もダイナマイトを抱えた少女も90年代前後のサブカル。社会から弾かれたおかしな人たちがマトモなヤツらに背を向けての自己表現。空っぽな現実に傷ついて、居場所を求めて。どこを切っても五代響子のセリフが素晴らしい。
これだけ確かなビデオカメラ越しのコミュニケーションは佐藤寿保しか撮れない。その先に暴力と死が待つのではなく、地獄の縁でも生き延びていく若者二人の話だから何度見てもグッとくる。それから、生きていることが出来れば、また果てで会いましょう。
林由美香のベストの一つだと思うが、今泉浩一のベストでもあると思う。ビデオカメラから壁に流すバラバラになった変態家族の映像に自分を投映する。家族という集団ではなく、その欠片の一つとして繋がっている。『ニンゲン合格』ぐらい感動する。
俺は根が下品なのでどうしても林由美香の早世と結びつけたくなる。映画の、物語のなかでは20歳の誕生日を迎えたまま永遠にゴムボートに揺られながら小林旭を歌っている。映画を見続ける虚しさ、胸が苦しくなる表現。
昔、最高と思った映画は記憶の世界にとどめておくか、今の目で積極的に洗い直してみるか、迷うところだが、その中間くらいの姿勢でいる。公け・世評を離れて、何の根拠も別にない、まったく個人的直感で云うなら、20数年ぶりに観て、色や鮮明さは衰えて来てるも、変わらぬ印象の範囲内でいうと、本作は’80年代に素晴らしい傑作『激愛!ロリータ密猟』でデビューし、’90年代に『(生)盗聴リポート・痴話』(或いは『いやらしい人妻・濡れる』)で映画史の頂上の一角を占めるに至った佐藤寿保の、数々の傑作群の中でも、五本の指に入るだろう真の逸品である、となる。急死する半年前に直に話す事ができた主演女優(この映画の頃は、表彰式のステージでしか生では観たことがない位)を始め新旧の懐かしい顔が揃い、ラストのクレジットでは当時は分からなかったが、この後映画界を背負ってゆく逸材が何人もスタッフとして入っている。若松を世界映画のTopに押し上げた足立と大和屋と同じく、寿保黄金時代を支えた冗談のようなペン・ネームの2人の名脚本家のうち、本作を担当しているのは、スプラッター・血みどろバイオレンスの方ではない、家族や人間関係を問う「柔」の方の五代響子である。どちらにしても、ヴェンダースが一時期盛んに拘ってた「物語」なんぞはここにはなく、クライマックスでの『気狂いピエロ』や『ラストタンゴ~』の視覚的引用なんぞは、たまたま似てるぐらいにしか思えぬ、瞬間的インスピレーションの一点だけで出来ているような、変わらぬ寿保印の作品である。彼にあっては劇映画の組立概念は存在せず、リュミエールやメリエスの直感・始原の視覚・触覚から何も進歩していないようにも見える。
ここでは「離人症」と呼ぶ現代特有(原コロナであるような)の希薄・飢餓的な人の関係性一般のなか、対面しての意志疎通に代わる様々メディアが人間を、幾様にも縛り、深奥に目覚めさせ、神経を苛み、狂気にはまらせ、迷宮・血で血を洗う接触に至らす、というのが寿保の代表作のイメージとするなら、ここでも、ホームビデオカメラ、そのビュアー内とカメラ本体の対象との間介在、生活家具への出来上がったソフトのプロジェクター上映、ケイタイ(ポケベル・PHSの時代か)の響き、ひとときだけの安住を受け渡してくゴムボート・テント・マンション、他人を集め・形が似てるのもその中にからか家族(のイメージ)を入らせ・いとおしい存在は降ろし隔たせる電車の運行形態、社会と当人間相互認識の上・性交渉と繋がりの為の疑似メディア化へ向かう痴漢行為や性的プレイ・その他中毒・演技・運命感(・別世界へ跳べるダイナマイト束も?)、らが同質に跋扈している。実体・実感の欠如、記憶のリード、から解放され、現実の濁りない認識と対応へ向かう、というのではなく、虚実をひっくるめたその瞬間をいとおしく大きくナチュラルに愛し抱え込んで、観念の不変か時系列的変容の束縛から解放されてく(爆死ー覚悟ー前の2人は・あらゆる世界と時間認識を拾いだし別れを告げてく)、見えない流れを瞬間しかない世界からこそ掴めてゆける、無意識の自覚に至る。
視覚・イメージと移り戻りと環境音の現実の継続・揺るがなさ、柔らかい望遠の(ロー)縦図やトゥショット・薄暗い股間まさぐりアップのイメージと触感、それと同ウエイト併置の休まらない感性の緊張感のシャープで狙い矢印持つ広角図、短いCU都度誕生火点けカット入れの呼吸部も、がフォルムやバランスと無関係に映画を浸し感覚的に表面に現れるものが入れ替わる。それでいて何らかの自然で崇高な方向をいつしか窺え、知らず高められる。物語に従う映画なら、邪魔かはみ出しに見える、役者の素の躊躇い・ノリ・傲り・緩み・のめり込みが、そのままいとおしさ・飾りなさとして、作品を作り、確かにしてゆく。
’90年代は一般には、東西横綱(候補)を挙げると侯かキアロスタミと・タランティーノかコーエンbros.の10年かもわからないが(それまでの大島ーゴダール、神代ーアルトマン、相米ーアンゲロプロスに次いで)、見栄を切るなら私には東洋はこの作家である、少なくとも国内、瀬々・佐野・トシキよりも、更に(相当に素晴しい)黒沢よりも。
さっ
4.5
プリントタイトルは『痴漢電車 いやらしい行為』、監督名義は幡寿一だった。『ソナチネ』『ヌードの夜』『パトレイバー2』も公開された'93年。みんな同じ、涙が出るほど切ない空気が流れてる。ある範囲の映画人は2年後のカタストロフと戦後神話の解体を予感してたんじゃないかと思いたくなる。変な結果論なのはわかってるけど。最後にゴムボートの林由美香が東京湾(そういえば上の3作にも全部出てくる)をプカプカ漂いながら歌う「ダイナマイトが百五十屯」があんまりにも尊い。SM(電車内!)姉貴も好きだけどオナホ教を布教する(電車内!!)兄貴がぶっちぎりで狂ってる

実相寺みたいな超広角画面、林が彼氏と別れる駅のホームの白とび

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性と愛のコリーダ

上映日:

1977年04月23日

製作国:

上映時間:

86分
3.4