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パサジェルカのhorahukiのレビュー・感想・評価

パサジェルカ(1963年製作の映画)
3.9
罪悪感か願望か

アウシュビッツ強制収容所。気になる女囚を絶対に屈服させたい女看守と何をしても絶対に屈服しない女囚の水面下でのバトルを描いた心理映画。監督のアンジェイムンクが本作の撮影中に39歳の若さで亡くなられたため、有志がスチール写真やナレーションを用いて補完した未完の傑作とされてるやつ。

初アンジェイムンク。豪華客船に乗ってドイツに10年ぶりに帰国する航路。かつて強制収容所で処刑された女囚と瓜二つな人物をイギリスに寄港した際に目撃する。彼女は死んでいなかったのか?それとも別人なのか?っていう『めまい』的な導入。そんな主人公(元女看守)が現代からアウシュビッツ強制収容所時代を回想するように展開するのだけど、現代については映像がなく、全て静止画のスライドショーとナレーション。

当然それは監督の意図していないことになるわけだけど、静止画スライドがむしろ感情を的確に際立たせている箇所があって、映画って24フレームの静止画の繋ぎ合わせなわけだから、その映画としての制約とも呼べる接着性を排除することでアクセントとする…的な映像表現になってしまっているのが何か凄い!これこそ表現における損失と利益だし、本作特有の表現物になってしまってる気がする。

未完なために女看守と女囚マルタの関係性と顛末については何も描かれない。過去回想についても2バージョン存在し、主人公である女看守が現在の夫に良いカッコしようと思って語る「女囚を自由にしてあげようと思って私頑張ったの👍」バージョンと、独白する「実は全部自分の出世のためだったの🤪」バージョン。前者→後者の順番で見せられるのだけど、前者の際には主人公は2回だけ、しかも鏡像でしか姿が映らないことに真意でない意図を汲み取れる。

数多いる女囚の中からなぜマルタを選んだのかは視線によって示唆され、他ほぼ全員が主人公を睨みつけているのに対してマルタは明後日の方向を向いている。目線を主人公に向けることで看守に怒りを抱いていることを実感させるわけだけど、目線による双方向コミュニケーションというか、怒りを抱くこと=主人公の支配下に置かれてることの証左であるため、支配-被支配の確立が既に成っているからこそ主人公はその他大勢に興味を抱かない。

明後日を向く=支配が成っていないからこそ、屈服させることに主人公は躍起になっていく。そして自分が愛国心と引き換えに捨て去ってしまったものをマルタが全て持っているように思えてくるために妬みも加わり、人生における取捨選択の結果ある「今」をマルタの存在が否定しにかかっているように思えるからこその精神と精神、生き様の対決のようにも見える。

更には好意すら感じ取れ、結果的に「マルタを自由にしたい」は本心のように思えてくる箇所があったりもするから物凄く複雑な心理状況。マルタはイギリスに情報を流してたわけで、そのイギリスで現代にマルタを見つける…というのは罪悪感だけなのか、現実逃避的な願望でもあったのではないかと思えてくるからすんごい面白い。これ全部撮影されていたら多分感じ方が全く変わってくると思うし、意図せずに生まれた怪物って感じの映画だなって思った。
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