1888年、開拓が始まったばかりのルイジアナでは珍しい核家族の一人っ子として生まれ育ったハディ・レッドベターことレッド・ベリーは早くからギターを学び、10代の頃から出入りしていたシュリーブポートの赤線地区ファニン・ストリートで演奏していたという。ダンスパーティでは人気者で、女性にめっぽうもてたことから多くの男たちから反感を買い、トラブルに巻き込まれることもしばしば。初めて刑務所に収監されたときは脱獄に成功したが、2度目はナイフを持って追いかけてくる男を拳銃で殺した罪でテキサス刑務所に投獄された。しかし、パット・ネフ知事に捧げた曲が気に入られ、35年の刑罰から2年で釈放。その後、アンゴラ刑務所にも収監され、そこで民族音学者ジョン&アラン・ローマックス親子と出会う。アメリカン・ブラック・ソングのルーツを探していた彼らはレッド・ベリーの音楽性に魅了され、O・K・アレン知事に恩赦を求める歌を録音するなど陳情に協力、レッド・ベリーは再び釈放された。以降、レッド・ベリーはローマックス親子の歌の収集・録音の手伝いを申し出て、刑務所ツアーなどのアシスタントとして参加。その後、ニューヨークへ移住し、ローマックスによって世界に紹介されたレッド・ベリーの音楽は観客を熱狂させた。レッドベリーは、当時のアメリカの黒人に「自分がいる場所から抜け出せる」と見本を示した。1949年に61歳で逝去した後も、彼の曲は多くのミュージシャンによってカバーされ、新たな音楽が生まれ続けている。
1958年にリリースされたある曲が、世界を揺るがした。タイトルは「ランブル」。インディアンの血をひくリンク・レイによる、この攻撃的なギターサウンドは物議を醸し、歌詞のないインスト曲にも関わ…
>>続きを読むインタビューで語るのは、エリック・クラプトン、ミック・ジャガー、ピート・タウンゼントなど超大物ミュージシャン。モンタレー・ポップ・フェスティバル、ウッドストック・フェスティバルなどで「Pu…
>>続きを読む伝説の音楽レーベル<モータウン>創設者のベリー・ゴーディJr.が、引退直前に初めて密着を許可した、ドキュメンタリー映画
【収録内容】「雨あがりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」、「スローバラード」、「よォーこそ」、「エンジェル」、「毎日がブランニューデイ」、「君が僕を知ってる」、「JUMP」、「Baby何…
>>続きを読む経済破綻状態にあった1970年代のイギリス。市民が抱いていた不安と不満は、第二次世界大戦後 に増加した移民たちへ転嫁されていった。街は暴力であふれかえり、特に黒人たちが襲われた。そのなかで…
>>続きを読む©2024 House of Lead Belly