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血は太陽よりも赤い
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『血は太陽よりも赤い』に投稿された感想・評価

菩薩

菩薩の感想・評価

4.0
同時期の若松作品の中ではかなりウェルメイドな出来だと思うが結局はクソみたいな大人と汚い社会に復讐する若者の話だからしっかり若松節。話が複雑なので割愛するが、霜降りのせいやにしか見えない欲求不満受験生が周囲の大人に嫌気がさして見事ドロップアウトしヤリサーに入り解放区を築きヤクザの世界に足を踏み入れそこからも瞬足で足を洗い機関銃を買ってこの世界をぶっ壊す…とイキリたつ作品。ヤクザにハメられたとは言え思いを寄せる相手の父親を殺してしまった癖にそれでも僕はやってない感出すのはダサくね?と思うが、若松孝二の強烈な個に対する想いが垣間見える革命の映画。首をぶった斬った鶏持ちながら街を闊歩するシーンは正直そんなインパクトもなく…ただの悪趣味としか映らなかった。
✔『鉛の墓標』(3.5p)そして『血は太陽より赤い』(3.5p)及び『聖少女拷問』(3.3p)▶️▶️ 

 若松は大卒でないせいもあり、当時の大手の映画会社に入れなかったのか、元々そんな気はないのか、プライベートな事は一切知らないが、仮にそのルートに乗ってたとしても、テクニック·気概·ルーチンワーク、全てにおいて一級の存在になったであろう事を証明する、若松プロ以前と初期の二本。
 跳ねっ返りのチンピラが、度胸と腕の良さから、犯罪組織に重用されてゆき、幼なじみと(正体隠し)温かい家庭を築いて行くも、抜けられない筈の組織を生まれくる子供の為に礼を尽くして抜けるを取り付ける、兄貴分への粛清の指示を果たした頃から、はっきりギャップ·暴力の軋轢が生まれてゆく。
 尺の長さや内容的にも裸ウェイト小で、一般映画と見た目変わらない頃。ややグレーっぽいデジタル版で、不良·組織·犯罪ものの、パターン·或いはそこに染まりきるを拒む、甘さもあるが、映画としての伸びやかさ·粘り·真っ当さは、一級のセンス·実行であり、ルーティンに則ってるようで、職人·個人の崇高な刻印迄加えてゆく。役柄でさほど重要でない者が、最後の最後まで生き延び·変節し、その価値を増してゆく。純朴なベースは、高い次元に鍛えられ直す。指示通りにスナイパーに成長し、その社会の地位を高めてゆく主人公。そこに自己·人間の出自の地点の拘り·抜けられなさが絡むと、上位からの順次決定の方向の非情は逆流の力を見せてくる。
 特に必要最低限の美術と装置に卑屈さは全く無く、人やカメラの動きと絡みのポジション·自然な解放感は、正確でかつ狭さを取り払い、見事である。音楽も微かなシンバルから、ジャズ系多くも、アフリカ系迄入ってきて、柔軟で幅取りまで見事。このままの路線で一般映画にシフトしても、国内というより海外と比べられる、犯罪~不良~フィルムノワール的な世界、締付けと情の滲み出しに、長けた名監督になったかもしれない。
 しかし、日本人に生まれた所からの、スタンダードに押し込めない、しこり·トラウマのようなものがあり(起点の、後も多様のスチル含み過去シーンの荒さ持ち描き)、それがスタイルの高低の角度はあってもスッキリした切返しや交互の締めや運動を、十字路化してゆく。別の90°·延長上の、切返しの張出しに進化してゆくのが、中~終盤にウエイトを持って来る。
「貴方、狂ってるわ」「母が米兵に殺されても何もしなかった世間。そこに借りはあっても貸しはない」/「分かった。女は子を孕むと母親に変わる。俺はその言葉に弱い」「変わってないわ、やはり。でも自分が身を滅ぼすわよ」
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 更に少し後の作品となると、アメリカのR·ブルックスやN·レイのように、社会風俗を相手取り·同時に自らその中のイコンになってもおかしくない秀作に進化している。彼らのパセティックさに対し、ドライというか、より即物的で、映画美学などに寄り道しないストレートな美と力を実現している。
 『血は~』。モノクロのコントラストの力·深み·直截さ、それは何か物ごと引き連れてくようなパンや移動の流動感にも、眞仰角等の極端も含むアングルや構図の浮き上がらない現実にフィットした統制力、(パートカラーの)血の赤や殺戮の無駄のない押え·散りばめ、まだ甘くあろうと社会構造の縮図を纏め上げる腕力。生来の欲求と世への不満からの不良化、スチルの入れ方や音楽のノリ、純粋·純情のそれなりの貫き、2作に似て共通する所も多いが、より嵌まり込みから距離を置いてる。実にテキパキ弾力が心地よく刻まれる。このあと、政治·幻想·様式、極端に変な映画(知人はこれらを変な人が撮って、変な人らが評価してる変な~マイナーな~映画と軽蔑仕切ってるが)に入ってくのが、バジェット等の問題があるにしても勿体無い気もする。
 優等生高校生が、ふと同級生や·後には嘗ての憧れ的先輩の、内から世を拗た不良らに、隙を突かれて遊びに引き込まれ·反発自由享受から知らぬ間に凶悪犯罪の片棒を担がされたと分かり、社会の歪みとそれに従う親たちら迄に、自分が一部加担の巨悪に最も大切にしてきたひとが危険に晒され、世界への徹底した反抗·破壊を試みる(薬剤をヤクザに横流しで暴利の製薬会社社長の下で·従順な父、姉は社長の愛人、そしてそれを正さんとした社員は解雇からヤクザと与した社長側から拉致·抹殺へ、彼女はその娘、の構造が絡まり、法外な対決だけが残ってくる)。
 2作に通ず、自分だけの倫理の拘りの予感に形を与え、映画を逸脱させてくるのが、足立·大和屋·沖島で、ベースを引戻してもくれたのが伊東か。(後日分かったが、本作は既に足立の本との事。確かに社会性つよい。)
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70年代に入ると、益々大手のスタジオ・システムは崩壊し·異種映画の人材の交流は普通になり、ピンクの中心の若松も、ATG進出、世界戦略の大島のプロデュース、一般劇場作も取り始める。ピンクも勿論撮ってるが、上記4人は既にスタッフから外れ、大家の風格·巧妙は残ったが、強烈な内面世界は、一般的·平均的なものに落ち着いた気がする。
 『聖少女~』。風情の包みやキャラの色分けが、自ら矛盾を迸しらせてた以前と違い、一色に近い。昭和9年から2年間位の、東北農村から郭に売られた10代半ばの少女の、主として、皆と違い心優しい少しだけ先輩との友情、同じ東北ながら出世·非情に固まった非人間·軍人客との関係を描いてく。 
 少しずつ寄る、90°変の寄りの切り返しや時にどんでん、階段·廊下辺の動きに併せたカッティングあるも、やや見下しめ、赤い照明染まり、の客らと対する自分の部屋のトゥショットめ、望遠め長回しが主調を成し、雪·雨や枝葉越しらの囲い中身もしっくり美術·琴や尺八の風情、の視覚情感にたっぷり浸かってゆき、批評力もある。アンゲロプロス的、格と熟しの世界と言えなくも。
 幸せを諦めて無表情の主人公は、ナレーションや歌詠みで故郷と通じ、もう一人は幼馴染の通い客との年季明けを待っていきいきしている。2人は真の親友となるが、好いた相手の店の金使い込み発覚で一転。親友は相手と、足抜け·確保リンチ·再?心中に、あの軍人(若き下元)の処世·信念が大きくはたらき、ヒロインは彼から思いがけず軍刀奪い刺殺に至る。「幸せは諦めても、怒りは棄てていない」。しっかりとカタルシスだが、少し、違う感。(観た映画99%以上書付け目標に沿ったが、記憶の半ばは、年齢のせいもあり、失ってるな、と実感してきた。)
寺山修司がたいそう気に入ってたらしいって事で鑑賞。
徹底した大人vs子供の構図。記号的な相関のレイヤーを実直に重ねていく事で、当時の日本社会が抱えていた未来無き淀んだ空気への絶望と怒りが顕現する

『血は太陽よりも赤い』に似ている作品

愛と希望の街

製作国:

上映時間:

62分

ジャンル:

配給:

  • 松竹
3.8

あらすじ

ある小都市の駅前、靴磨きの女の人たちに混じって一人の少年・正夫(藤川弘志)が鳩を売っていた。そこへ会社役員の令嬢・京子(富永ユキ)が通りかかり、その鳩を七百円で買った。正夫はお金が要るから…

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悦楽

製作国:

上映時間:

90分

ジャンル:

配給:

  • 松竹
3.5

あらすじ

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