horahuki

デモンズ’95のhorahukiのレビュー・感想・評価

デモンズ’95(1994年製作の映画)
4.2
愛と死

11月はゾンビ⑲

バーヴァ→アルジェントと続き、次世代伊ホラーを担う存在として注目されていたミケーレソアヴィの代表作。それまでのアルジェントの呪縛から解放され、プロデューサーも自身で務めることでソアヴィ自身の感性を爆発させることに成功した傑作。スコセッシが年間ベストに選出したというのは有名な話だけど、それほどの作品でありながら、本作をもって一旦監督業から退いてしまったのが悲しい。

住み込みで墓地管理人を務める主人公フランチェスコには悩みがある。死後7日経つと、なぜか死体が蘇ってくるのだ。蘇った死体をリターナーと名づけ、相棒のナギと協力して頭を銃で撃ち抜くことまでが彼の日常業務と化していた。そんな中、恋人がリターナーに噛まれ、彼女もまたリターナーとして蘇ってしまう。いつも通り頭を銃で撃ち抜くも、彼女に噛まれてしまった主人公はその日から現実と幻想の境目が混濁していく…。

ロメロ的なモダンゾンビを登場させながらも、ゾンビに襲われる恐怖を描くことはほとんどせずに、流れ作業のようにゾンビを倒していくコミカルでユーモラスな作風。そこに画家でもあるソアヴィの美的センスが炸裂した映像美が合わさり、ゴシックで退廃的でありながらゴージャス、そんな相反するように思えるイメージを纏め上げた唯一無二な世界観を形成している。撮影監督が『地獄の黙示録』等で有名なマウロマルケッティだということも大きく寄与しているのだと思う。

冒頭とラストで二度登場するスノードームが象徴するように、本作は出口のない地獄に囚われた主人公を描く。そして地獄とは現実そのものなのだと説く。何かの罰を背負わされているかのように主人公は甦ってくる死者を延々と繰り返し殺し続けなければならない。町長に訴えても無視され、残業代ももらえず、口外すればクビになる。無意味な繰り返しの人生を生きることを強いられる不条理。それこそが地獄。

地獄の中で死にまみれた彼の希望として、主人公は謎の未亡人に恋をする。でも彼女もまた死によって掬い取られる。彼女は何度も何度も様々な形で戻ってくるのだけど、死によって掬い取られた彼女の中にはかつての愛はない。主人公の母親の旧姓はDELLAMORE、つまり愛なのだけど、現在の主人公の姓はDELLAMORTE=死。愛を亡くし死に雁字搦めとなる主人公の現状を名前が体現しており、愛と死を親に持つ主人公の表裏性や真なる自己を探す旅としての心の揺らぎを浮かび上がらせる。このあたりに原題である『DELLAMORTE DELLAMORE』の意図を見いだせると思う。

主人公は、次第に生者をも殺し始めるのだけど、なぜか一切罪に問われない。これは彼の孤独を一層際立たせるものである以上に、死と生がそれほど異質なものではないことをも示唆する。監督のもうひとつの代表作である『アクエリアス』でも虚構が現実を照らしだしていたように、本作でも死に囚われた彼の地獄の寓話性は生に囚われた現実を照らし出す。その地獄からの脱出を試みる彼の行き着く先が何とも悲しい。

突き進んだり、回転したりを繰り返すカメラは『死霊のはらわた』からの影響を感じさせるし、バイクのまま墓地から飛び出すゾンビは『サイコマニア』を彷彿とさせる。また墓地の中でのエロシーンの美しさはジャンローランのようで、死が現界する際のカメラは死のビジュアルを含めて、後の『エンドオブデイズ』が参考にしてるのではないかと思う。

来月、ソアヴィの『デモンズ3』と『デモンズ4』のBlu-rayが発売されるようなので買おうかな。この監督が撮り続けてたら間違いなくホラーの傑作を量産しただろうと思うので、本当に引退が残念で仕方ない…😭
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