horahuki

黒水仙のhorahukiのレビュー・感想・評価

黒水仙(1946年製作の映画)
4.4
これは怖い!!

初マイケルパウエル。『血を吸うカメラ』を見ようかなって思ったんだけど、コレが評価高いっぽいのでまずはこっちから。『ミッドサマー』の予習にもなるし一石二鳥!

もともと遊郭みたいな欲望渦巻く施設として利用されていた宮殿に診療所と女子修道院を作って欲しいという将軍からの依頼で、修道会から派遣されてきた最年少院長とシスターたちの内面が崩れていく様を描くサイコホラーなんだけど、皆さんご指摘のとおり映像の美しさがとんでもなくて眺めてるだけでテンション上がってくるすげぇ作品!

舞台はエベレスト級の山々に囲まれた高地に建つ宮殿。心を吹き晒すように常に風が唸りをあげて吹き荒ぶ廃墟のような地で、ボロボロの宮殿内部を修理したり作物を植えたりと全てを作り替えようと奮闘するシスターたちが描かれる。

あちらに向かい扉を開くとともに吹き込んでくる風と現れる景色、異界とも呼べる象徴的舞台へと踏み込む姿と動線の先の鐘。冒頭からかっこ良すぎる映像が多くて引き込まれたし、見下ろす緑とか、都度都度意味合いが変わる鐘とか、風の音が強くなるタイミングとか、それとともに揺れるカーテンとか、凄すぎて最高だった!

本作は試練の物語なんだろうなって思った。遊郭の跡地に修道院を作るという行為は、人の中に眠る情欲という本質を信仰という規範で覆い隠すという行為に他ならず、それはそのまま彼女たちの内面へと転化されていくわけで、神に身を捧げるというある意味での非人間化の作業である信仰の道を進めて行こうとする中で、それぞれの心の中にある「人間らしさ」が、消え去ることに抵抗するように知らず知らずのうちに溢れ出してくる。

信仰の道を志す彼女たちにとって、心の中に封印してきたはずの「人間らしさ」を想起させる彼の地は劇薬となる。その劇薬に浸かり、もがき苦む彼女たちは信仰の試練を受けさせられてるように感じた。そして、それは裏を返せば信仰にどっぷり浸かり非人間化が進んでいた彼女たちが「人間らしさ」を取り戻す物語でもあるわけで、押さえ込まれていたことに対する反動の強大さは底知れず、その振れ幅の大きさが怪物を作り出してしまう。

怪物化を決定づける本能と規範の正面きっての対決は非常に象徴的で、赤と白で対比される色彩だけでなく、規範側をあらわす聖書と消えゆく炎、情欲をあらわす口紅と遊郭を象徴する絵画を挟み込み、敗北へと傾いていく流れが秀逸。この前後はマジで完全にホラー。竹林を行く道のりや鬼婆のような印象を受ける目のドアップは日本の怪談映画のようで、もしかしたら影響を受けてるのかも。

溢れ出てくる本性を怪物だとするならば、それを押さえ込もうとする信仰はある意味では正しい行ないであるわけだけど、その正しくあろうとするためにかかる重圧の大きさはとてつもなく、結局それは人の内面の悪の強大さを反証的に描いているわけで、本作の中で提示される無視と無我という解決法は「逃げ」なんだけど、その「逃げ」は正しくもあるのだろうなって思えてくる。

だからこそ少しの逃げを感じさせつつも、それでも立ち向かって行こうとする主人公のラストの力強さと立ち向かうべき本能の象徴すらも(自分の中にも存在するものとして)守って欲しいと言う共存の意思表明は、それはもうすでにひとつの境地に達したのではないかって思った。

男も女も子供も全員が普通のありふれた存在だと語られる住民たちは、作中で「子どもだ」と語られるように未熟さを感じさせるのだけど、外と内の二面性を正直に体現する彼らこそがあるがままの人間の姿…というより人間の内面そのものなんだろうなって思った。だから無我を拝むのかなって。というかあの場所こそが俗世なんやろね。

舞台となる土地そのものを人間の内面へと転化する象徴的舞台として仕上げた本作は『ミッドサマー』と確かに共通項がありそう。あちらにも風は吹いてたりするのかな。姿形を変えた別の何かなのかも知れないけど。
horahuki

horahuki