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インド行きの船のhorahukiのレビュー・感想・評価

インド行きの船(1947年製作の映画)
3.4
閉じこもってないで外へ出よう!

昨日に続いてベルイマン監督3作目。7年ぶりに故郷に寄港したら、愛を誓った女性が迎えに来てくれなかった…😱探してみると、怒号をあげる系のメンドクサイ引きこもりニートにクラスチェンジしていたので、何とか外へ連れ出すためにとりあえず浜辺でごろ寝して過去の思い出に浸るメロドラマ。

この7年前の回想が本編。2人が惹かれ合うまでを描く物語でありながら、回想の先ー過去に待ち受けるのは息苦しさしか感じない地獄のような現実。主人公は生来の特性(アイデンティティ)を父親に否定され続けたことで「自分を愛してくれる人などいない」と悩み、「船」に縛りつけられている。両親の仲は冷え込み、父親は場末のダンサーを「船」に連れ込み、「こいつと一緒に出て行くから!」と母子に告げる。父親がマジでクソすぎる!

そんで、このダンサーが後々に主人公とくっつくんだけど、父親の不倫相手を寝取るとか主人公さん童貞にしてはいきなり茨の道を行くよね。そのせいでただでさえ終わってた家族関係もエゲツないことになり始め、最終的にホラー化するっていう家族は怖いよ…な地獄映画だった😱

前作と同様に独創性を欠いた「借り物の象徴性」でもって「生きる」ことを描いてはいるものの、正直こちらはあまり響かなかった。「孤独へと堕ちることの恐怖」が全ての主要キャラから感じられ、ある者は過去を悔い、ある者は道連れを捕らえ、ある者は障害を破ろうとする。その先に見えてくるのは前作同様に地続きの地獄でしかないのだけど、前作以上にフンワリとした楽天的な終焉は、過去回想を経た上での「観客が感じる期待」に寄り添い過ぎてるように思えて微妙に感じた。

一作目の『危機』は見ていないからわからないけれど、前作、本作と、過去作の模倣を連ねたコラージュによるウェルメイド(?)な大衆向け作品でスタートした監督としてのキャリアが、模倣される側としての孤高の源流を生み出すに至るわけで、その転換点がどこなのか気になった。

前作・本作ともに後の根源的主題となる諸要素が含まれているのが見て取れ、本作では父親との関係性や孤独への恐怖を反映させた中で、興行的トラウマによるものなのかどうは知らないけれど、大衆向け作品と自身の主張との調和を図っているように感じ取れるし、前作冒頭に「映画とは何か」という問いがあったことを考えると、その問いの中でもがいていたのかな〜とか勝手に思った。当時ベルイマンは本作を自画自賛してたらしく、「もがき」はなかった可能性も高いけど😂

あと嬉しかったのは、クライマックスのホラー(サスペンス)演出。規則正しい反復音と影、そして露骨な暗雲立ち込める画面。不穏を徹底的に植え付けた後の気泡の演出が好き。私はベルイマンはホラー監督だと思っているんだけど、ここで既にその片鱗が見え隠れしてるところですんごいテンション上がった!🤣
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