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刑事マルティン・ベックのbackpackerのレビュー・感想・評価

刑事マルティン・ベック(1976年製作の映画)
3.0
【カリテファンタスティックシネマコレクション2022】

ーーー【あらすじ】ーーー
深夜、ストックホルムの病院で、入院患者のティーグ・ニーマン警部が、銃剣で惨殺された。事件を任された刑事マルティン・ベックは、警察内部でのニーマンの人物評を調査する。どうやらニーマンは、"サッフルの残酷男"と渾名される、悪徳警官だったらしい。
ベックは相棒のエイナール・ルンと共に、ニーマンに恨みを持つ者を地道に洗い出すのだが、時を同じくして、白昼のストックホルムの街で、銃乱射事件が勃発し……。
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"刑事マルティン・ベック"と聞けば、犯罪小説等に詳しい人はよく知る、非常に有名なキャラクターらしいですね。そのものズバリ〈マルティン・ベック賞〉という文学賞もあるんだとか。物を知らぬ私は、全く存じ上げませんでした。
1976年のスウェーデン映画と言われても、他の有明所がすぐ出てくるほどシネフィルではありません。今後は本作の名前を、自信を持って挙げられますね。


本作感想を簡単に言えば、渋く堅実ながら、大胆で挑戦的でもある刑事物、でしょう。
オープニング、ニーマン警部惨殺シーン。
暗い病室、はためくカーテン、ベッドに横たわる汗ばんだ大柄の男、カーテンの隙間から覗く光る目、激しくブレるカメラと大量の血糊……。今となっては、もっと過激なグロ演出が山ほど溢れておりますが、この時代のスラッシャーレベルで考えれば、かなり挑戦的です。
冒頭最も印象的だったのは、やたらと本物臭いな血糊です。赤黒く、粘性があり、どう見てもチープな血糊とは程遠いリアリティがあります。モップで拭き掃除をするシーンなんて、凄く本物感が漂っていました。
調べたところ、どうやらこの血糊、本物の豚の生き血を使っているとのこと。
ポー・ヴィデルベルイ監督の拘りだったらしいですが、後半の銃乱射事件で、「ヘリコプターから宙吊りにされた機動部隊員の口内にも豚の生き血を含ませた」ってのは、勘弁してやってくれませんかね……。

そんな凄まじい冒頭から打って変わって、捜査パートは実直極まりない地味っぷり。
ベックとルンによる資料確認・聞き込み等の地道な捜査を軸に、コルベリ刑事とラーソン刑事の現場検証&銃乱射への初動がカットバックされつつ、話が収束していく形式で、物語が進みます。

そういえば、作中ベックに「つまらない男」などと揶揄されているルン刑事は、実際は大変有能な人物ですよね。徹夜仕事で常に眠た気で、具合が悪そうな顔色ながら、欲しい答えをバッチリ導き出してくれるルンは、非常に頼りになる存在です。そんなルンへの評価の仕方からは、ベックの性格が出ている気がしますね(ルンが疲労困憊で調べ物してる最中、自分はプール行ってマッサージ受けてきたくせに……)。
その流れで言えば、キャラクター描写が言外の説明で丁寧に描かれており、原作小説を全く知らないのに非常にとっつきやすかったのが素晴らしかったですね。例えば、若く有能で家族愛に溢れるコルベリ刑事と、中年の偏屈で家族仲は崩壊しているベック(妻とは家庭内別居状態であることが、寝室が別であったり、「新聞はどこか?」の会話等、些細な所からヒシヒシ感じられます)の対比や、コルベリとラーソンが駐車場で車の扉をぶつけ合う描写(二人は犬猿の仲)等、言葉にしなくともわかりやすい最低限の描写で、キャラクターの人となりを巧みに説明しています。
個人的には、ベックがオフィスの席では靴を脱いで仕事しているのが、リアルおっさん感が漂っていて最高でした。

閑話休題

ベックとルンの地道な調査により、「ニーマンを殺したのは元警官である」と導き出すまでの過程のリアリズムは、警察組織内の庇いあいから始まる腐敗や、気に食わない者を排除しようとする社会に対する批判が溢れております。
「残酷な殺しをした犯人が、必ずしも冷酷な殺人鬼ではなく、他者に自分の権利を侵害され、奪われたことに対する復讐である」という構図は、現代でも全く変わることない問題意識ですよね。所謂"無敵の人"が増加していくのは、社会的弱者に対する冷笑混じりの対応ばかりの現代日本社会でも、深刻な問題です。
『刑事マルティン・ベック』には、そんな社会問題を連想させる、普遍性がありました。
地味な描写とド派手な描写のバランスが、それらを上手く匂わせて、観客に想起させていく。なるほど、今なお語られる映画なわけですね。


正直、ベックが単身犯人の元に乗り込むくだりや、民間人を犯人逮捕に連れて行ったりというのは、当時のスウェーデン警察に対する皮肉としても、あまりに理由や突拍子がなさすぎる気がしますが、それにつけても良くできた作品でしたので、劇場で鑑賞できて幸運でした。
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