マサキシンペイ

ニーチェの馬のマサキシンペイのレビュー・感想・評価

ニーチェの馬(2011年製作の映画)
3.1
ニーチェアンとして、タイトルに惹かれて鑑賞。

ニーチェの思想とこの映画の関連性で言うと、これはニーチェの理想としての「超人」ではなく、ニーチェ思想で最も痛烈に批判されていた終焉に向かう「末人」を描いたものだろうと思う。

冒頭で語られるニーチェのエピソードも「末人」的であり、劇中登場するキリスト教徒は勿論、ニーチェ思想において好意的に解釈される貴族道徳を説く男の言っていることも、全て気の狂った戯言に聞こえることからも、この映画はニーチェ思想そのものというよりもむしろ、ニーチェが送った悲惨な人生と、彼の力強い思想とのギャップから見出される強烈な虚無感に感化された作品と読み取れた。

さて、映画の内容自体は、目立ったストーリー性もなく、究めて「不条理かつ退屈」なものだった。しかし、この映画は「不条理かつ退屈」でなければならない必然性がある。なぜならこれは寓話として見るべき映画だからだ。つまりこの映画は、我々の人生自体が、この映画のように「不条理かつ退屈」なものであると啓蒙しているのである。

だから、この映画は、この映画を楽しもうとする観客達に冷水をかける。我々の生きる世界に楽しいことなんてあるわけがないだろう、この世界も暴風が吹きすさぶ何もない荒野なのだから、と。

毛艶のない疲弊しきった馬を引いて、毎日目的もなく荒野を走るだけの労働をし、味わうためではなく生きるために茹でたジャガイモを貪る、これだけを繰り返す。この映画の世界観を言っているのではない、この映画を見ている人間たちの人生が、皆まさにこのように無意味なのだ。

この鋭利なニヒリズムを観客に突きつける「不条理かつ退屈」な映像は、逆説的に刺激的なのだと言えるだろう。