この映画は強烈だ。1954年で、ニューヨークではなく、ボルチモアにあるリバティー・ハイツ(フォーレスト・パーク)に住んでいる家族のについて。ここはユダヤ人が多く住んでいる場所だと。30分ばかり見たが、ベン(Ben Foster )の好奇心に興味がある。それに、子供と両親の世代の違いからくる?、ヒットラーに対する見解の違い。ヒットラー時代を経験しているものと、歴史で学んでいるのは違う?親や祖母から聞いていても、体験がないと違う?ヒットラーの思想は危険だとはわかっているが、彼のコスチュームを着てハロウィンで歩くのは一つの行事で、深刻になりすぎる家族は変だ?この映画は1954年(白黒映画『ゴジラ』が出た時代)だと言うことを常に頭の中に入れておかないと検討はずれなことを言いそうだ。注意が必要だ。 しかし、ヒットラーのコスチュームだけでなく、ベンの思想はユダヤの伝統の中で育ったのになぜ革新的なのだろう。ベンと兄(エイドリアン・ブロディ)はthe other kindという言葉をよく使う。これは彼らが使っている言葉でなく母親と祖母が使っている言葉で、ユダヤ人以外の人々を指す。この類の人々とはデートはできないことを示唆する。それに、有色人種のシルビアを魅力的だと家族の前では言えない。ベンが一言、母親とお婆さんの前で行ったら、 just kill me now.....と母親が。魅力的で綺麗だと誉めただけで、シルビアを好きだと言ってるわけじゃあないよとベンは。1954年だから?新年の食卓の準備をしていたから? 現在でもこういう母親は存在するかもしれない。子供の頃、ユダヤだけの共同体に住んでいたベンは多くの人々がユダヤ人だと思っていたと、でも、高校生?になって、ユダヤ人は10%だと知った。ベンの住む社会が広がって、見解が広まったと言える。母親やお婆さんはユダヤ人の世界だけに住んでいると思わせる。この映画の冒頭の会話はユダヤ人の共同体リバティー・ハイツに住むベンの 家族だけに焦点が置かれ、ベンがここで、どう育ってきたかがよくわかるし、その反面、反骨精神がすでに芽生えている。なぜ?と言う視点で物事を見ることができるからだ。いい会話だ。
この時代は米国の自由民権運動台頭と共産主義排斥の時代である。特に、公民権運動の人種統合(Racial integration)のはしりで( Brown v. Board of Education)、公立学校は人種が混ざって教育され始めてきた。 ここでベンの興味はシルビア(Rebekah Johnson)にいく。これは彼の好奇心は幅広くなったし、彼自身がユダヤの共同体を抜け出て、新鮮な空気に触れる一つとなった。べンの自分に対する挑戦のようにも思えるが、多分、反面教師で、リベラルになっていったのではないか?シルビアとの交流はLittle RichardやJames Brownなどのロックの世界を知り、黒人のコメディアンの世界もシルビアと共に堪能した。シルビアの父親はユダヤ人との交流を望まないようだ。シルビアの母親も祖母もアトランタにある黒人のスペルマン大学(Spelman College)を卒業している。シルビアもそこにいく。レガシーといって、代々、女家族はその大学を卒業して、エリート意識を持つようだ。ベンとシルビアはそれぞれ進む道は違う。ベンはメリーランド大学に行く。二人は卒業式にKeep in touch!と。そして、べンは『いまここであなたにキスしたら何が起こると思う』と。シルビアはベンの両親は死ぬかもねと。ベンはシルビアにキスを!シルビアの家族は何が起こったのかと。ベンは堂々と家族に向かって歩いていく。ベンの兄はやったねとでも言いたそうに肩を抱く。母親は怒り狂っている。死にそうさ!!!いいシーンだね。 ここでベンは人権運動に立ち向かっていると言う意識はなさそうだ。単にシルビアが好きだから。 しかし、最後のシーンでベンは人権に目覚めて、プールの入り口の看板、No Jews, Dogs or Coloreds, Allowedを取り除いて、ゴミ箱に捨てる。ここで不平等に対する怒りがより芽生えたように思える。
. 覚書 この映画で公立高校のクラスで詩篇23を暗誦するので調べてみた。 1963, Abington School District v. Schempp: The court ruled that required Bible readings and recitation of the Lord's Prayer in public schools were unconstitutional.