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籠の中の乙女のkomoのレビュー・感想・評価

籠の中の乙女(2009年製作の映画)
4.1
ギリシャのとある街に住む三兄妹は、生まれてから一度たりとも家の外へ出たことがない。両親は彼らに名前すら与えず、偽りの知識を仕込み、子供たちを完全なる支配下に置いていた。
しかし年頃になった長男の性欲処理係として外部の女を雇ったことがきっかけで、一家の世界は徐々に破綻してゆく。


『女王陛下のお気に入り』で初めてヨルゴス・ランティモス監督の世界観に触れたのですが、皆さんがその作品のことを「今までのヨルゴス・ランティモス作品の中で最も分かりやすく大衆向け」とおっしゃっていたので、他の作品は一体どれだけ拗らせているんだ…と気になっていました(笑)
ロブスターや聖なる鹿殺しも話題ですが、まずは監督の1作目である本作から観ることにしました。

こ、これは……噂に違わず非常にいびつで、どこまでも突き抜けた世界観。
正直理解できなかったし、気持ち悪く感じてしまう表現もあったけれど、創りたいものに忠実な欲をぶつけるランティモス監督の作風はいっそ清々しく感じられました。

生まれてから一度も家の敷地外に出たことのない三兄妹の物語。
『外の世界を知らない』というよりも、『偽りの世界を生きている』と表現した方が正しい気がします。
兄妹が知らない真実は家の外にあります。
しかし家の中でしか生きたことのない彼らにとっては、その家での生活が十数年に渡る"世界の全貌"でした。

人間誰しも知らないことはあるもの。
知らないことがどれだけの数あるかということよりも、
"自分に知らないものがあるということを知っていること"や、
"自分の知るべきはどこからどこまでなのか"を規定することの方が重要なのだと感じました。

三兄妹は、"自分たちが何を知らないのかを知らない"状態にあります。
この両親は子供たちに、『海』とは『レザーの椅子』のこと、と教えています。
このため、子供たちは外の世界に全く関心がないわけではないものの、例えば『海を見たい!』と言った具体的な目標は持つには至らないというわけなのです。

こういった情報操作や、"指標を与えない"という陰謀は、もしかしたら身近にも存在しているのかも…。
本作で描かれているのは一家庭に過ぎませんが、これと同じようなことがもし教育機関や集団レベルで行われていたらと思うと恐ろしいです。

ただでさえ独自的な世界観に加え、近親相姦の描写があったり、犬の真似事をするシーンがあったり、自分の歯を引き抜くシーンがあったりと、かなり倒錯的な内容となっています。
英題の『犬歯』というタイトルが結末への鍵でした。『籠の中の乙女』も耽美的なタイトルですが、長男の存在が省かれていることに違和感を覚えますし、ちょっと綺麗すぎるような気がします。前者のシュールな語感の方が好きです。

煮え切らないラストシーンでは、この話の結末がよくわからなかったのと同じように、『私にもまだ知らないこと、察することができないこと、想像できないことがあるのだ』と、苦い思いに浸りました。
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