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パルプ・フィクションのkomoのネタバレレビュー・内容・結末

パルプ・フィクション(1994年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

午前十時の映画祭にて。
昔からVHSでよく観ていたこの作品を念願のスクリーンで鑑賞でき、感無量でした!
とにかく面白いんだけど、情報量が膨大すぎてなかなかレビューに手をつけられなかった作品。
タランティーノ監督がこの壮大な構想の中に込めた含蓄は数多くあるのだと思いますが、私はこの映画に対し『"信念"と"矛盾"の瀬戸際を描いた物語』であるという印象を抱きました。

作中の登場人物は皆、その人柄や展開に何かしらのギャップを持っています。
そして各人には、途中で己の信念を変える(または揺らぐ)シーンが用意されています。

・ヴィンセントは毅然と引き締まったギャングでありながら、漫然とした表情も見せる男。理に適った行動が多いわりに、トイレでコミックを読むような無駄な事をする局面もあります。ボスへの忠誠とミアへの欲望の間で揺らいでいる人物です。

・ジュールスは何の躊躇もなく人を殺めますが、しかし聖書の一節(※実際は聖書のフレーズではない)を脳に刻みつけて生きていて、ある意味では作中で最も神に近い男。この人物は自分の身に起こった幸運を神の施しだと信じ、組織から足を洗うことを決めます。

・ミアは自身の行動に何の抜かりもなく(「これでいいわ」という台詞)、人を翻弄するタイプの人間ですが、ゲストのいる場所でドラッグに失敗します。また、くだらないからと言って語りたがらなかったとあるジョークを、別れ際でヴィンセントに披露します。

・ブッチは一見粗暴なようでいて、恋人のファビアンを心から甘やかし、そして父の形見の金時計を何より大切にしています。けれどファビアンがその時計の存在を忘れていたと知った時、それまで女神のように信奉していた彼女に強い罵声を浴びせるようになります。

・マーセルスは絶対的な権力を持つボスでありながら、無力のまま虐げられる者として描かれているシーンがあります。そして地の果てまで追いかけて始末しようとしていたブッチを、己の信念を変えて許すことにします。


これらのキャラクターの信念や行動は予測がつかず、常に"一寸先は闇"な物語展開は何度見ても充実感があります。
たとえ彼らが途中で信念を変えても、『信念を変えることもまた信念なのだ』と思わせてくれる脚本の強さがあまりにも清々しいです。
そしてこの"信念"も、その信念から派生して生まれる大波乱な物語の数々も、すべては『パルプ・フィクション(くだらない作り話)』に過ぎないという究極にクールなスタンス。
トイレに長くいすぎたばっかりに命を落とす羽目になってしまうあのヴィンセントも、創り手からすればつまりはくだらない作り話の一部に過ぎないのでした。

この作品の大きな魅力は、登場人物たちの『取り留めのない会話』です。その内容はウィットに富んでいて娯楽的な魅力があるものの、物語の筋には一切影響しなかったりします。
『取り留めのない会話』も『登場人物の死』も、この作品の中では"どちらもくだらない作り話の一部でしかない"という、同等の熱量で描かれているような気がします。

創り手のこのような冷徹な視点のおかげで、物語は更に煩雑さを増し、不条理は更に畳み掛けられ、より味付けの濃い作品に仕上がっていました。

『くだらない作り話』を盛大に丹念に作り上げるという"矛盾"。
『信念を変動させる』ことで筋の通った作品を作り上げるという"信念"。
予測不能な心を持ったキャラクターたちは、まさに創り手の創作姿勢とシンクロしているように思います。
この作品を観るたび、この世に『フィクション』という娯楽が存在することに心から感謝したくなります。
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